日本プロゴルフ殿堂

偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから

日本プロゴルフ殿堂入り発表の記者会見

Japan Professional Golf Hall of Fame

1月29日、東京・世界貿易センタービルで第6回顕彰者を発表

日本プロゴルフ殿堂入り発表の記者会見

 第6回日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者発表の記者会見を1月29日、東京・世界貿易センタービルで行った。会見には日本プロゴルフ殿堂の松井功理事長と、副理事長の日本プロゴルフ協会・倉本昌弘会長、日本女子プロゴルフ協会・小林浩美会長が出席した。今年は表彰ノミネート委員23人の投票・意見を参考に理事会で決定、松井理事長が顕彰者3人を発表した。

 1972年以前に活躍し、功績を残したプレーヤーに贈る「レジェンド部門」では藤井義将を選出した。福岡県出身、21歳でプロ入りし、1962年には霞ケ関CCとトーナメントプロとして契約を結ぶ新しい時代を開いた。故郷・福岡の玄海GCに移った後は、九州を拠点に「玄海の荒法師」の異名を取り、1971年日本オープンでは杉本英世とのプレーオフを制した。シニアでも活躍し通算23勝。後進の指導にも力を入れ、尾崎将司がプロ野球からゴルフへ転向した際に最初に指導したことでも知られている。

松井功理事長
倉本昌弘副理事長
小林浩美副理事長

 女子では吉川なよ子が選ばれた。北海道出身で、19歳の時に滋賀・皇子山CCにキャディーとして就職してゴルフに出合い、23歳でプロテストに合格した。1979年には日本女子オープンを制するなど、小さな体を目いっぱい使ったスイングでトッププロに上り詰めた。そんな姿を1980年代半ばにはNHK連続テレビ小説の「おしん」の主人公にダブらせて「おしんプロ」とも呼ばれた。1995年再春館レディースでツアー通算29勝目を挙げたが、永久シード権を得られる通算30勝には届かなかった。第一線を離れた後も障害者ゴルフへの支援などゴルフ界に貢献している。

 倉本副理事長は「藤井さんは子供のころに西日本サーキットという大会に試合を見に行ったこともあった。藤井さん、金井さんとも一緒にプレーしたおり、顕彰には感慨深いものがあります」と話し、小林副理事長は「藤井さんは日本女子プロを開催した琴海パサージュの設計者でお世話になった。金井さんは優しい人。吉川さんには、プロになったころ相談に行ったときに『浩美ちゃん、ゴルフの練習は食べることと一緒なんだよ』と言われました」と思い出を話した。

会見では顕彰者や肉親から寄せられた喜びのコメントも披露された。

藤井義将の子息、藤井久隆プロのコメント

父の殿堂入りは言葉に出せないほどの喜びであります。私にとっての藤井義将は、父というよりゴルフの師匠であります。というのは、父が以前霞ヶ関CCに在籍していたご縁で、私はここで研修生になり、プロを目指しました。父の兄(武人氏)もゴルフのプロで、東京では小金井CCの支配人をやっていたそうなので、我が家はゴルフ一家といえましょうか。父のゴルフの振り出しは福岡の和白でした。後に埼玉県の霞ヶ関CCに当時としてはめずらしい契約プロとして移籍しました。それ故に全て厳しいプロ生活を送っています。具体的に表現すると、マナーはもとより、技術、プロとしての勤務態度を始め、言動に至るまで、言い表せない厳しさを身に着けていたと思います。
当時、霞ヶ関CCには日本のゴルフ界を代表する方々がメンバーとして名を連ねていました。
日本アマ3連覇の偉業を達成した三好徳行さんや弁護士として名高い清瀬三郎さんといった方々がおられ、父はプロとして、これらの方々から正しいゴルフの百般を叩き込まれたからでしょう。そんな父の背中を見て私は育ちました。ですから、父に向けるコメントというより、師匠に向かって『おめでとうございます』といったほうが的を射た表現のような気がします。

金井清一のコメント

第6回の日本プロゴルフ殿堂入りの嬉しいニュースを伺った時、一瞬、なにかの間違いではないかと思いました。嬉しい話でしたが、いまだに信じられない気持ちです。
私のゴルフのスタートは、ビルの屋上にあった小さなドライビングレンジです。勤め先の会社の社長がゴルフ好きで、社長さんから刺激を受けました。ゴルフの技術を学ぶうちに、アメリカゴルフ界の名手ベン・ホーガンの書いたモダンゴルフに巡り合い、上手くなりたい一心でむさぼり読みました。活字では理解できないところがあり、悩みましたが幸いなことに大先輩の陳清波さんとお会いでき、陳さんはホーガンが説いたテクニックを実践しておられたので教えを乞いました。
陳さんが強調しておられたポイントは、常に正しいスクエアスタンスで構えるという点でした。そのポイントはスタンスを取ったとき、両足のつま先を結ぶ線とボールから目標方向を眺めたとき、その線は平行であるべきというところにありました。私のスタンスは目標の右を狙った構えになる癖があり、陳さんの教えで随分と改良されました。
現役時代、ゴルフ愛好家の方々に少しはお褒めに預かったのは、こうした諸先輩方からの尊い教えを頂いたからだとこの機に至って痛感しております。日本のゴルフが益々栄え、ゴルフ愛好家が一人でも多く・・・が私の切なる願いです。

吉川なよ子のコメント

まずは嬉しいの一言です。本当に素晴らしいご褒美をいただき、ゴルフを通じていろいろな方とお会いできたこと、心より感謝の気持ちでいっぱいです。 私は北海道・札幌の生まれで、京都の皇子山のゴルフ場にキャディーとして就職しました。そのうちにボールを打つことを覚え、コースが休みの日はクラブを1本もってこっそりコースを回ったものです。ゴルフ場は休日は自由に回ることができました。
日本の女子プロは昭和43年、TBS(東京放送)が埼玉県の河川敷のコースで競技会を開きました。当時、樋口久子さんが女王の座につかれ、その後、鳥山由紀子さんが活躍されてゴルフ雑誌のグラビアを飾っていました。そんな写真を眺めながら、なんとなくプロを意識しました。ゴルフ場を離れてから京都のゴルフ練習場に勤めながら改めてゴルフを履修し、プロの世界に飛び込みました。 年輪を重ね、思いだすのはかつての競技です。
女子オープンにプレーオフで勝ったこともありますが、この機に及んで嬉しいことは、レジェンドの競技が5試合あること。この競技に出させていただけることこそ素晴らしいことです。歳を忘れ、いつまでも元気にクラブを振りたいものです。さあ、若返って、今日も愛するゴルフのために頑張ります。 3人を顕彰する「第6回日本プロゴルフ殿堂入り式典」を3月23日午後2時30分から、神奈川・パシフィコ横浜で行われる「ジャパンゴルフフェア」会場の特設ステージで、一般公開セレモニーとして開催する予定。

(敬称略)