第6回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1980年)
2020.12.21
優勝カップを掲げる安田春雄(週刊アサヒゴルフ1980年5月28日号より)
ガッツ安田がプロ19年目の日本タイトル奪取
78、79年連覇で「マッチの鬼」と呼ばれた青木功の大会3連覇が注目された。舞台も同じ戸塚CC西C(6443ヤード、パー72)。もう1人、前週のフジサンケイを制して勢いがある尾崎将司との対決も期待された。第1日は32人が参加して、1、2回戦(各18ホール)が行われた。1回戦、注目の2人は、早々に苦い顔になる。横島由一と対戦した青木は、得意のパットが決まらない。マッチは、横島が先手を取る展開になった。追いついた青木が15番で13メートルのチップインでいったんリードしたが、16番で落としてマッチイーブンで最終18番へ。パーをセーブした横島に対して、第1打を林に入れて何とか1.5メートルのパーパットまで持ってきた青木がこれを外して決着した。スポーツニッポン紙によると、青木は「おれに勝ったんだから、決勝まで行ってもらいたいよ」と言い残した。金星の横島は「信じられません。10番で帰ってこないように…それだけは心に決めていました」と、声を上ずらせたという。
尾崎は4年前の王者吉川一雄と対戦。吉川が4番から5連続アップの猛攻に、尾崎はたじたじ。インに入って13番から3連続アップする粘りを見せたが時すでに遅く、3-2で敗れた。「追い込まれると取り返すのがきつい。王者青木選手が負けるんだから…」と話している。AO共倒れのスタートになった。
2回戦では接戦が相次いだ。小林富士夫が20ホール1アップで上原宏一を下した。安田春雄が横島に、島田幸作が天野勝に、ともに19ホール1アップで辛勝。川田時志春が矢部昭を、新井規矩雄が鈴木規夫を、ともに1アップで下して勝ち上がった。
第2日は準々決勝(18ホール)。安田が、川田と対戦した。安田夫人が川田の実姉という「義兄弟」の関係に「やりにくいよ」(月刊アサヒゴルフ誌)と話していたが、勝負は容赦しなかった。6-5の楽勝に、安田は「昨夜、かあちゃんが絶対に勝ちなさいっていうんだから」とご満悦だった。4年前に決勝を戦った新井規矩雄と吉川の対戦は、新井が4-2で勝って雪辱。「学生時代(東洋大)マッチプレーは相手ばかり気にして1回戦ボーイだったけど、今は違う」と、得意としている。
中島(現中嶋)常幸は、島田を2アップで下した。尾崎から硬いスチールシャフトのドライバーをプレゼントされたといい「球を鋭くしっかり打てる」と感謝していた。鷹巣南雄と小林富士夫の一戦は接戦となり、最終18番で鷹巣が振り切って、ベスト4が出そろった。
第3日、準決勝(18ホール)は、安田―鷹巣、中島―新井の組み合わせになった。安田はこれまで3試合で一度もアップを許していなかったが、3番で右に曲げてギブアップし、初めて相手にリードを許す展開。7番パー5で7メートルのイーグルパットを決めて追いついてから調子が出始めた。中盤、4ホールを取って優位に進め、3-2で初めて決勝に進出した。「ストロークプレーなら首位から20位に転落だよ。相手のミスに助けられた」(月刊アサヒゴルフ誌)と、ほっとした様子だった。
中島は試合巧者新井を3-2で下した。77年日本プロ以降、不振が続いていた。「尾崎さんのように復活優勝と行きたい」と話していたが、安田との決勝に「相手が安田さんでも勝ちたい。悔いのない、いいゴルフをしたいですね」と、話している。
最終日の決勝(18ホール)、2番で中島がボギーとし、先手を取ったのは安田。中島は4番で20センチのバーディー、安田がボギーにした6,8番で絶妙のアプローチを見せてパーセーブし、2アップとリードした。10番で安田、11番で中島が取った後、安田は13番で取って反撃を開始した。15番で追いつき、16番では中島が右OBでついに逆転。17番パー3、ともにグリーンを外し、アプローチで安田が2メートル、中島は5メートルのパーパットを残した。狙った中島は1メートルほどオーバーし、OKに寄せた安田はボギー。中島はまさかの3パットのダブルボギーとして、2-1で決着した。
中島は「自分なりにいいゴルフは出来た。変な悔いは残っていません。いつも上位にいたらそのうちチャンスが来ます」と、自滅の形で3年ぶり優勝を逃したが、スポーツニッポン紙によるとさばさばした表情だったという。
安田は2年ぶりの優勝。しかも「どうしても取りたい」と常々話していた「日本タイトル」を、プロ19年目でやっと手にした。中村寅吉に師事してプロ入りし、1968年中日クラウンズでは鈴村久との1時間40分、9ホールのプレーオフを制して初優勝。69年フィリピン、71年シンガポール、72年台湾優勝とアジアサーキットで活躍し、杉本英世、河野高明(ともに日本プロゴルフ殿堂顕彰者)と「和製ビッグスリー」と呼ばれた。
「久しぶりの優勝だなあ…疲れたよ」と話した。代名詞でもある「ガッツポーズ」をふんだんに繰り出し、持ち味の「アイアンの切れ」を見せつけて、37歳の日本一だった。
プロフィル
安田春雄(やすだ・はるお) 1943年(昭和18年)1月19日生まれ東京都出身。中学時代に練習場でアルバイトし、中村寅吉の球拾いをしたのがきっかけで、卒業後に中村門下に入り、1番弟子ともいわれた。1962年にプロテスト合格。68年中日クラウンズで初優勝した。「ガッツ安田」のニックネーム、当時杉本、河野とともに、海外のビッグスリー、パーマー、ニクラウス、プレーヤーになぞらえて「和製ビッグスリー」と呼ばれた。通算18勝(海外3勝)。