第14回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1988年)
2021.04.19
週刊アサヒゴルフ1988年5月31日号より
外国選手門戸開放御礼、デビッド・イシイが初制覇
この年、日本プロマッチプレーには2つの変更があった。1つは会場変更。福島・グリーンアカデミー(7019ヤード、パー72)に舞台を移した。もう1つは、外国人選手に出場資格が与えられた。1回戦(18ホール)。前年、高橋に屈したとはいえ、マッチプレーへの苦手意識を一掃した尾崎将司は、湯原信光と対戦。1番で湯原が1メートルのチャンスにつけたが、グリーン右に外していた尾崎将は約20ヤードのチップインバーディーで引き分けた。湯原は「18ホールだと出足勝負。取れると思ったのに痛かった」と、日刊スポーツ紙に振り返っている。気分をよくした尾崎将は14番まで6バーディーを奪って、5-4で完勝した。
前年、歴史的名勝負ながら高橋勝成に敗れた尾崎将は、クラブハウスでその高橋が藤木三郎に敗れた報を聞き「昨年僕に勝った高橋選手が負けて(2回戦は)藤木選手が相手? 相手は誰でもいい。グレッグ・ノーマンでも連れてこないと今の僕には勝てないよ」と、スポーツニッポン紙はご機嫌の尾崎将のコメントを伝えている。
末弟の直道が横島由一に2番からの3連続バーディーで3アップし、2-1で逃げ切り勝ちした。最終組だった次弟・健夫はベテラン金井清一に2アップとリードしたが、15、16番連続バーディーを奪われる接戦に。17番で金井がミスし、1アップで辛くも勝利した。尾崎3兄弟が初めてそろって2回戦に進んだ。
2回戦&準々決勝(各18ホール)の第2日。最大15メートルの冷たい西風が吹く中での試合となった。前日ご機嫌の尾崎将は打って変わって別人のゴルフ。藤木に先にアップされると、反撃の機会もないまま、バーディーなしで4-3で敗れた。「藤木は世界一の選手だ。風と寒さにやられたなあ」とこぼした。
尾崎直は、優勝4回の青木功と対戦。4番までに青木が2アップとリードしたが、7番のボギーで流れは尾崎直へ。結局2-1で青木も敗れ、2回戦でAOが姿を消した。青木は「昨日おなかを壊して今日はおかゆしか食べていない。パットは思った通りに打っているんだが、穴に嫌われたなあ」とこちらもこぼした。
引き続いて行われた準々決勝、門戸開放で出場した外国勢の中で、デビッド・イシイが会心のゴルフを見せる。鈴木弘一に対して、12番で2メートルを決めるなど、6バーディーを奪い、なすすべがない鈴木を7-6の大差で下して4強を決めた。
初出場の須貝昇は、2回戦で飯合肇を下し、尾崎健と対戦。須貝はその年、大会前まで5試合連続予選落ちとどん底状態にいた。日刊スポーツ紙によると「今日の相手は勝てる相手じゃない」とホテルをチェックアウトし、ボールも3個しか持ってこなかったという。予備のボールを車から出してきた準々決勝、16番でバーディーを決めて、3-2で勝ちあがった。「夢に見た」というベスト4進出に「でもあんまり欲出さないで、確実にプレーしないと」と気を引き締めていた。
前年1,2位を破って勝ちあがってきた藤木と、山本善隆の戦いは接戦になった。イーブンで迎えた最終18番で山本が8メートルのバーディーを決めて1アップで勝利した。尾崎直と対戦したベテランの鷹巣南雄は、前半リードされたが、10番でOKバーディーの尾崎直に対して、5メートルのバーディーで引き分けに持ち込んでから流れを変え、3-2でベスト4に進んだ。
第3日は準決勝(36ホール)で、イシイ―鷹巣、須貝―山本の組み合わせになった。
イシイと鷹巣は大接戦。前半18ホールをイーブンで折り返し、後半も20ホール目をバーディーで分け、イシイが21、24ホール目、鷹巣が22、23ホール目を取って、両者とも譲らない。鷹巣1アップで迎えた32ホール目の14番。残り95ヤードの第2打をグリーンオーバーするミスショットでイーブンに。そして34ホール目の16番。先にパーで上がったイシイは、60センチほどの鷹巣のパーパットにOKを出さなかった。「上からかぶさって打ちに行ってしまった。不注意だった」と鷹巣が振り返るように、このパットを外してまさかの3パットで、イシイがリードした。そのまま、イシイが逃げ切った。イシイは「どうもすいません」と日本語で鷹巣に一礼。「エキサイトしたゲームができた。最後はコンセトレーションの勝負。お互いになくしかけていたみたいだったけど」と振り返った。
初出場の須貝の快進撃は続いていた。山本を相手に、前半を1アップで折り返し、19ホール目で2アップ。終始有利に試合を進め、34ホール目で3メートルのバーディーを沈めて山本を振り切った。「今年は稼いでいないから、途中から、勝てば(最低)700万円(2位賞金)、負ければ250万円とか計算した」と笑い、優勝すれば1400万円という報道陣に、机をたたいて「相手はこれより硬いひとだからねえ。勝負出来るのはパターだけ。少しでも長くラウンドできるようにやりますよ」(スポーツニッポン紙)と話している。
最終日、決勝36ホール。2ホール目で須貝のボギーで先手を取ったイシイは、8ホール目でイーブンに戻された。12、13ホール目で須貝のボギーで2アップしてからは、危なげないプレーぶり。14ホール目では須貝の80センチのパーパットをOKしなかったところ、ギャラリーから「OKしてやれよ」のヤジに、うつむいて「須貝さん、OKね」と譲ったシーンもあったが、これで闘志を沸かせたかもしれない。。20ホール目で6メートルを入れた須貝に対して、イシイは4メートルを入れ返し「予想していたが本当に入れてきた。なんてうまいやつだと思ったね」と須貝を脱帽させた。29ホール目で6アップとし、そのまま6-5で初出場優勝を飾った。
外国選手に門戸を開いた大会でイシイの優勝は、象徴的でもあった。イシイは前年1987年に日本プロ、日本シリーズでも初出場優勝を果たし、日本タイトル3冠になった。前年は賞金王にも輝いており、イシイが一番強かった時期だ。
表彰式では、1回戦からの対戦相手の名前を挙げ、日本語で「どうもありがとう」とあいさつ。並んでいた須貝や鷹巣に思わず笑いがでた。「公式戦に勝てたのはエキサイティング。日本オープンも取りたい」と次の目標を「日本4冠」に置く優勝になった。残念ながらその後、日本オープンのタイトルには手が届かなかった。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
デビッド・イシイ 1955年7月26日生まれ米国ハワイ・カウアイ島出身。マウイ高卒業後、米本土のヒューストン大のゴルフ部で活躍。1979年にプロ転向。米ツアーテストを1979年から3年連続で受けたが、資格を取れず断念した。日系3世で、日本には1980年から参戦し、日本ツアーを主戦場とした。1987年に6勝を挙げて賞金王。レギュラーツアー通算14勝。一度は断念した米ツアーでは、90年ハワイアンオープンで念願の優勝を飾っている。