第12回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1986年)
2021.03.15
1986年5月19日付報知新聞
中嶋が2度目のマッチプレー日本一
大会前から話題になったのが「マッチの鬼」と言われた青木功。4月のマスターズで右ひじ腱鞘炎を発症し、その後試合には出ずに治療と休養に当てていた。5週間ぶり、国内戦では151日ぶりの復帰戦に、過去4度制して得意としているこの大会を選んだ。練習ラウンドでは久々のコースの感触に生き生きとした表情で回った。日刊スポーツ紙は「青鬼が戻った」と報じている。「メドが立った。マッチプレーは1ホールあさっての方に行っても1ダウンだし。そのうち勝負勘が戻るだろう」と青木はコメントしている。
第1日、1回戦(18ホール)で青木は入江勉と対戦した。前日、鉛を張って修正したパターでパッティング好調。6番から4連続バーディーを奪ってアップし、13番まで5アップした。14番で右の林へ。入江も左の林に入れていた。青木の第2打は木越えを狙ってOBに。その瞬間に左の林にいた入江にギブアップを宣言した。「食らいついていこうと思った矢先、なんか、あそこでリズムを狂わされた」と入江が振り返るように、マッチプレーの名手らしい駆け引きをみせて、4-3で1回戦を勝ちあがった。
連覇を狙う高橋勝成は船渡川育宏を1アップで退け、2年前の覇者中村通は井上幸一に5-4で大勝、3年前の覇者中嶋常幸(当時中島)は中村忠夫を4-2の大差で下すなど、順当に勝ち上がった。マッチプレーを苦手としている尾崎将司は牧野裕に4-3で完敗。勝負が決まった15番では、牧野のチップインにバンザイをするなど、パフォーマンスでは沸かせ「新聞には牧野の不戦勝と書いて」(スポーツニッポン紙)と早々に姿を消した。
第2日は2回戦と準々決勝(各18ホール)が行われた。2回戦、注目の青木は上原宏一と対戦した。序盤2、4番で2アップしたが、6番で流れは変わる。1メートルのパーパットを上原がOKせず、外してこのホールを落とす。8番では上原が10メートルを入れて追いつき、後半はバーディーパットが決まらない青木に対して、上原が2つバーディーを取り、青木を2-1で下した。この日は今一つかみ合わなかった青木は「悔しいけど、ゴルフができる状態になったことがうれしいよ」と話して会場を後にした。
上原のほか、中嶋、高橋、尾崎直道、金井清一、鈴木弘一、小林恵一、尾崎健夫が勝ちあがって、引き続いて準決勝が行われ、競り合いの熱戦が展開された。
中嶋は尾崎直と対戦。3,5番で取った尾崎直がリードするが、中嶋は6番から3連続アップで逆転、尾崎直が9番のバーディーでイーブンに戻して後半へ。10番で中嶋がバーディーを取って1アップとし、そのまま互いに譲らず18番へ。尾崎直が最後はギブアップして決着した。中嶋は「最大の難関、青鬼さん(青木)はいなくなったことだし、残りの鬼をいじめてやりたい。僕は桃太郎で行きたいな」(報知新聞紙)と、余裕を見せた。
小林―高橋は、小林が18番のバーディーで追いつきエキストラへ。19ホール目で高橋の連覇を阻止して勝ち上がった。鈴木―金井はエキストラ20ホール目までもつれ込んだが、鈴木が振り切った。青木を破った上原が勢いを見せて尾崎健を2-1で下してベスト4に進んだ。
第3日の準決勝(36ホール)。中嶋は鈴木の粘りに苦しみながらも3-1で勝利した。前半を3アップで折り返し、後半も4番まで3バーディーで一時6アップとした。しかし、残り9ホールになって鈴木が反撃。10番から3連続でアップし、中嶋のリードは2アップとなる。迎えた17番パー3、中嶋は5メートルのバーディーパットを決めて、35ホール目、3-1で振り切った。スポーツニッポン紙によると、鈴木は「簡単に勝たせちゃ面白くない。少しいじめてやろうと思いました」とコメントしている。中嶋は「危なかった。曲者に危うくやられるところだった」と、ほっとした表情をみせたという。
小林―上原も激戦になった。午前の9ホールでは取り合いを演じ、インに入って上原が13番から3連続アップなど、午前を3アップで折り返した。午後に入り、4番までで上原4アップと流れをつかんだかに見えたが、小林も粘る。徐々に取り返して16番で上原のボギーで追いついた。36ホールのうち、互いに12ホールずつを取り合う激戦。エキストラ19ホール目の15番、日刊スポーツ紙によると、7.5メートルのバーディーパットに小林は「そこまで手が動かなくてショートが多かったので強く打つことだけやった」と、これを沈めてガッツポーズ。先にパーで上がっていた上原は「まさか入れるなんて。次のホールの攻め方を考えていた」とがく然としたという。
小林は初出場での決勝進出。大阪のホテルでコックをしていた時に杉原輝雄と知り合って弟子入りした異色の経歴を持つ。「明日は中嶋さんですか。僕の顔と名前を全国の人に覚えてもらうにはいい相手ですわ」と笑った。
最終日の決勝(36ホール)は6712人のギャラリーが入る中、中嶋の一方的な展開になった。7番でアップした後は終始リードを保つ展開に。15、16番連続で取って4アップ。18番では左の林に打ち込んだ小林が、木の根元のボールを見て早々とギプアップ。これに対して中嶋は「マッチプレーはいかに相手を長い時間プレッシャーに置くかが駆け引き。僕もミスする可能性があったし、ありがたかった」(日刊スポーツ紙)と、この時点で勝利を確信したという。小林は「そこまで中嶋のショットを見過ぎた」と、知らず知らずのうちに相手に飲まれていたため、あきらめが早くなってしまった。午後も中嶋は安定したプレーで、13番の31ホール目、6-5で決着。決勝での最大差で、3年ぶり2度目のマッチプレー王者となった。
「相手に付け入るスキを与えなかったと、自分でも思うよ」と貫録の勝利。「ジャンボ(尾崎将)も勝った(前週フジサンケイ・クラシック)。僕も勝った。青木さんが出てきて、これから楽しくなるぞ」(スポーツニッポン紙)。AON時代まっただ中で、中嶋の「強さ」が際立った。
プロフィル
中嶋常幸(なかじま・つねゆき)1954(昭和29)年10月20日生まれ群馬県出身。父・巌氏の英才教育で腕を上げ、1973年の日本アマを当時大会史上最年少の18歳で制する。プロ入り後もすぐに頭角を現し、77年に22歳で日本プロ優勝。82年に初の賞金王、83年には年間最多記録の8勝をマーク。85年には史上初の年間1億円プレーヤーとなるなどツアー48勝。 海外メジャーでも活躍、86年全英オープン最終日最終組で回る(最終8位)など、全米プロ3位はじめ、メジャー4大会すべてで10位以内に入っている。シニアでも2005年日本シニアオープン、06年日本プロシニアを制し、日本プロ、日本オープン、日本シリーズ、日本プロマッチプレーの6冠に加え、日本アマも含めて「日本タイトル7冠」の偉業を達成。17年にスポーツ功労者文部科学大臣顕彰、18年に日本プロゴルフ殿堂入り。