第82回日本プロゴルフ選手権(2014年)
2018.12.03
優勝トロフィーを掲げる手嶋多一(写真提供:日本プロゴルフ協会)
難コースで競り勝った手嶋が日本タイトル2冠達成
屈指の難コース、兵庫・ゴールデンバレーGCを制したのは手嶋多一だった。45歳7カ月23日での優勝は史上4番目の年長優勝(1位は尾崎将司49歳3カ月18日)となった。大会を前にPGA倉本昌弘会長らがコースセッティングに関する会見を行った。「今回は日本プロ史上、最も広いフェアウエーになっていると思う。(自分の)プレーヤー目線で、選手たちが一番力を出せるコースセッティングにした」と説明。1987年開場でロバート・トレント・ジョーンズ氏設計のコースは、ファーストカットやグラスバンカーの復活などコース改造を行った。7233㍎、パー72でラフは平均120㍉に伸ばし「選手に予選通過ラインを聞かれたが、ちょっと荒れると10オーバー、150(6オーバー)を切ることはないでしょう」と話した。
第1ラウンド、この大会2度の優勝を果たしている谷口徹が、4アンダー68で回り、首位に立った。インスタートの18番パー5でティーショットが飛びすぎて池にいれたがパーで切り抜け、折り返した1番パー5で6メートルのイーグルパットを入れるなど、1イーグル、3バーディー、1ボギーに「ドライバーを代えて、左に行く癖があったんで修正したら行かなくなったが、18番では大丈夫かなと思ってティーショットをドライバーで打ったら飛んでいって余裕で池に放り込んでしまった(笑い)。ティーショット、セカンド、パット、ショートゲーム、すべてが求められる。全部そろわないとスコアにつながらないんで、そういう点では(自分に)いいんじゃないですか」と話した。1打差で金亨泰(韓国)が続いた。
13年に49歳でプロテストに合格し、プロデビュー戦の田村尚之がイーブンパー72で11位につけた。「まだプロになった気がしないんですよ。日本アマ(23年連続出場)に行くつもりが日本プロに来てしまいました」と笑わせ「予選通過の確率が2割ぐらいになったかな」と控えめに予想した。
第2ラウンドでは、最終予選を突破した大田和桂介が、6バーディー、1ボギーの5アンダー67をマークし、通算6アンダーで金亭泰(韓国)とともに首位に立った。 「ハンパじゃない、多い・・・。こっちの方が緊張する・・・」と、大田和は20人以上の報道陣に囲まれ「首位に立つとこんなに集まるんですか・・・」と初々しいコメント。1番から体が「フワフワした感じでした」という。「大舞台で力を出せる自分がいるのがこの2日間で実感できました。僕はチャレンジャーなので、攻める気持ちで行きたい」と話した。
1打差で谷口徹、高山忠洋、手嶋ら実力者が追走する展開。手嶋は2日間ボギーなしに「このコースで信じられない。アプローチがよかった。ピンを狙っていないのがよかった。考えながらやってます」と振り返った。前日首位から1歩後退の谷口は「スタート時はバーディー量産の感じで行ったんですけど、パッティングが微妙で紙一重なんですよね」と振り返った。このところ隔年(10、12年)で優勝、今回がその年にあたるが「しょせんデータ。そんなんで決まるんなら始めから決まってるじゃないですか」と笑った。予選カットラインは4オーバーだった。
第3ラウンドで手嶋が3アンダー69で回り、通算8アンダー単独首位に立った。「このコースの目標はダボを打たないこと」という。1番でいきなりクリークに入れる「ダボチャンス」(本人)に1.5㍍のボギーパットを沈めるなど3つの「ダボチャンス」をボギーでしのいだ先の首位に「ここ何年かはシードを取るのがやっと。久しぶりにチャンスなんで狙って行きたい」と2007年カシオワールドオープン以来の勝利のチャンスがきた。大会中はホールアウト後の練習をしないプロとしても知られる。「若い時にたくさん練習したからいいんです」と、説明する。1打差2位に浮上してきたの同じ福岡県田川市出身の後輩、小田孔明。同郷対決に「彼はパワーがあって僕らの常識からしたら外れているんで、つけ込むスキはないかも」と笑ってごまかした。
先輩から「規格外」扱いされた小田はこの日(6月7日)が36歳の誕生日。17番で左2㍍を入れ、18番パー5では左ラフから刻んで第3打を手前3㍍につけ、連続バーディーで上がって通算7アンダーに。「多一さんは、僕がゴルフを始めたきかっけにもなった人。悪いけど、勝たせてもらいたいです」と強気に話した。
最終ラウンド、バックナインで激しいつば競り合いになる。10番から3連続バーディーで11アンダーに抜け出したのが小田。これを9アンダーで手嶋、李京勲(韓国)が9アンダーで追い、14番を迎えた。手嶋が先に5㍍を沈め、李もバーディー。3㍍のパーパットを小田が外し、10アンダーで並んだ。手嶋は「僕が優勝するなら、このパットを入れないといけないと思った。カップをくるっとしたんで、ラッキーだった」と振り返る。15番パー3が分かれ目になった。小田が左のバンカーに入れ、李は池に入れてともにボギー。パーに収めた手嶋が1打リード。16番では小田が1㍍のパーパットを決め切れず、3人ともボギーでまだ手嶋が1打リード。最終18番パー5のグリーン勝負、小田は手前7㍍、李は左下6㍍、手嶋は右2㍍。先に2人が外したところで、手嶋は勝利を確信した。パーに収めて通算9アンダー、辛くも振り切った。
グリーン上で手嶋がびっくりする。「最後のチャンスかも」と直子夫人が4歳の長男泰斗君を連れて応援しており、手嶋は「まったく知らなかった」という。「(優勝して)グッと来ていたんだけど(泰斗君が)いたんでびっくりしてそれどころじゃなくなった」と笑った。泰斗君にとって初めて見る父の優勝シーンに「プロゴルファーだと見せられてよかった」と話した。
史上19人目の日本オープン(2001年)と日本プロの両タイトルを手にし「夢にも思っていなかった。何人もいない名誉なので、恥じないようになっていかないと」と気を引き締めた。5年間のレギュラーツアーシード権を獲得し「50歳までレギュラーでやって、晴れてシニア入りってことですね。今一番勢いがある孔明に競り勝って、まだ出来るのかなと思った。体力はつけないと。後半へばったし。でも練習はしないですよ」と笑った。
プロフィル
手嶋多一(てしま・たいち)1968年10月16日生まれ、福岡県出身。実家が営む練習場で7歳からゴルフを始め、小6で北九州CCのクラブ競技に優勝。田川高1年時の1984年に15歳355日の日本オープン最年少予選通過記録をつくり、2014年に塗り替えられるまで30年間破られなかった。米国留学を経て93年にプロ入り。99年ファンケル沖縄オープンでプレーオフを制して初優勝。01年日本オープン、14年日本プロと日本タイトル2冠。15年に46歳で所属先が主催者のミズノオープンを制し、ツアー通算8勝。18年まで22年間賞金シード権を保持した。04年には選手会長を務めている。
第82回日本プロゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 手嶋 多一 | 279 | = 71 68 69 71 |
2 T | 李 京勲(イキョンフン) 小田 孔明 |
280 | = 72 69 68 71 = 71 71 67 71 |
4 | 張 棟圭(ジャンドンキュ) | 283 | = 79 69 67 68 |
5 T | H・T・キム 宮里 優作 |
284 | = 69 69 72 74 = 73 69 71 71 |
7 T | 宮本 勝昌 谷口 徹 |
285 | = 75 72 72 66 = 68 71 76 70 |
9 T | 藤本 佳則 K・T・ゴン |
287 | = 74 70 75 68 = 74 74 68 71 |