第69回日本プロゴルフ選手権(2001年)
2018.07.09
優勝トロフィーを掲げるディーン・ウィルソン(日本プロゴルフ協会50年史より)
日系4世のウィルソンが初出場で優勝の快挙
21世紀最初の日本プロは四半世紀ぶりの九州開催となった。会場は福岡県のザ・クィーンズヒルGC(7002ヤード、パー71)。うねりの大きいグリーンは固く、速く仕上げられ、選手たちの前に立ちはだかった。初日、アンダーパーをマークしたのは10人だけ。3アンダー、68で回ったディーン・ウィルソン、久保谷健一、東聡、謝錦昇の4人が首位に並んだ。東は前年、初日から3日目まで首位を守りながら最終日はスコアを落として1打差2位に甘んじている。リベンジに向けての2年連続首位発進。「去年、嫌な負け方をしたからね。今年の第一の照準を日本プロに合わせてきたから」(日刊スポーツより)と話した。
風が強まった2日目は難易度がさらに増した。そんな中、ただ1人ボギーなしで回ったのが47歳のベテラン・飯合肇だった。バーディーを3つ奪ってこの日ベストスコアタイの68。通算1アンダーとして初日の28位から2位に浮上した。だが、上には上がいる。初日首位タイのウィルソンだ。4バーディー、1ボギーで飯合と同じ68をマーク。通算6アンダーとして飯合、深堀圭一郎の2位グループに早くも5打の差をつけた。
アンダーパーをマークした選手がゼロになった3日目、ウィルソンは3バーディー、3ボギーのパープレーで耐えた。ほかの上位陣は軒並みスコアを崩し、2位の東が通算2オーバー。ウィルソンは8打もの大差をつけてビッグタイトルにグッと近づいた。
ハワイ出身のウィルソンは日系4世。母方の祖母のルーツは試合会場の福岡県にある。いわば第二の故郷での快進撃なのだ。日本ツアー参戦2年目。前年、すでに初優勝を飾っており実力は証明済みだった。
1万人を超えるギャラリーが詰めかけた最終日、ウィルソンは3番でバーディーを先行させた。しかし、以降はバーディーを奪えない。4番、10番、13番でボギー。差は少しずつではあるが縮まっていった。それでも、後続の選手たちも簡単にはスコアを伸ばせない。目立っていたのは9位スタートの加瀬秀樹が4日間を通じてベストスコアの67を叩き出したことくらい。18番を迎えた時点で2位・加瀬との差は5打というセーフティーリードだった。18番でこの日4個目のボギーを叩いたウィルソンだったが大勢に影響はない。日本での2勝目は日本プロという大きなタイトルとなった。
見た目は楽勝だったが、心の中はそうではなかった。「大量リードが逆にプレッシャーになった。昨日の途中から緊張していた。勝ちたいと思うと、フェアウエーキープもパーオンも難しくなった」(日刊スポーツより)とウィルソンは心中を吐露した。日本プロにはこの年が初参戦。初出場初優勝は1987(昭52)年のデービッド・イシイ以来の快挙となった。
そのイシイもハワイ出身。ウィルソンにとってあこがれの存在でもある。だからこそ、イシイが制したこの大会で勝ちたかった。
ウィルソンはこの年、計3勝を挙げて賞金ランキング3位に入った。翌2002年は2勝。日本で実力を蓄え、2003年からは念願の米ツアー参戦を果たした。
プロフィル
ディーン・ウィルソン 1969~米国ハワイ州オアフ島出身。日系4世で「ヒロシ」という日本名を持つ。ブリガムヤング大学を経てプロ転向。米下部ツアーやアジアンツアーなどでプレーしたあと2000年から日本ツアー参戦。3年間で6勝を挙げた。03年からは米ツアー参戦。06年のジ・インターナショナルで優勝している。
第69回日本プロゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | D・ウィルソン | 281 | = 68 68 71 74 |
2 | 加瀬 秀樹 | 285 | = 71 75 72 67 |
3 | 謝 錦昇 | 287 | = 68 74 74 71 |
4 | 東 聡 | 288 | = 68 74 73 73 |
5 | E・エレラ | 289 | = 75 74 71 69 |
6 T | 深堀 圭一郎 手嶋 多一 倉本 昌弘 |
290 | = 70 71 76 73 = 70 75 73 72 = 73 72 73 72 |
9 T | 中川 勝弥 藤田 寛之 横田 真一 中村 直俊 久保谷 健一 |
291 | = 74 73 72 72 = 75 68 74 74 = 72 76 71 72 = 74 70 75 72 = 68 79 73 71 |