第56回日本プロゴルフ選手権(1988年)
2017.03.06
日刊スポーツ昭和63年7月25日付
尾崎健がイーグル一発でONを逆転、2度目のV
この年、初めて「AON」がそろった大会は、梅雨明け直後の蒸し暑さとの戦いにもなった。会場は愛媛・愛媛GC(7040ヤード、パー72)。まず注目は全英オープンから帰国してぶっつけ本番で臨んだ「A」青木功だった。第1日、青木は英国からの長旅と蒸し暑さの中で精彩を欠いた。全英が1日延びて帰国が遅れ、会場のある松山にたどり着いたのが大会前日の夜。時差ぼけの睡眠不足もあって練習は軽い体操とバンカー、チップショットを3発ずつでスタートしたが、スタート10番で早くも座り込むシーンも。「自分では集中しているつもりでも感覚がない。知らないコースだし」とラウンド後の言葉を日刊スポーツは掲載している。その通り、距離感が合わず、歩測しながらのラウンドにもなり、1番ではOBなどこの日75をたたく123位スタートになった。「海外のメジャーに出て、日本のメジャーに出ないのは、自分として納得できない」とあえて選んだ強行軍だった。実は青木らの働き掛けもあって、PGAは翌89年から海外メジャーと日本の公式戦の日程をずらすことを決めた。それを聞いて青木は第2日に向けて「ぐっすり寝てやり直し」と話している。トップには6アンダー66で回った尾崎直道、入野太、秋富由利夫が並び、尾崎将司、中嶋常幸(当時登録名中島常幸)のONが1打差の好発進になった。出場144人中、78人がアンダーパーをマークした。
第2日、首位に立ったのは尾崎将だった。4つのパー5をすべて2オンするなど、6バーディー、ボギーなしの66で回り通算11アンダーとした。報知新聞によると「確実に2オンできるショットをしている。(バーディーは他に)チップイン1つと1メートルが1つだから、パットがいま一つ」と振り返っている。白浜育男が7アンダー65をマークして、尾崎将と首位を並走。この年のフジサンケイクラシックでプロ初勝利を挙げたばかりで「1勝してゴルフが楽になった。結果を恐れずにショットが打てる」とコメントしている。中嶋は2打差5位につけた。「たら、れば、がなければトップだった。他の人には勝たせたくないね」と日刊スポーツにコメントしている。出遅れた青木はこの日も2OBなど76の通算7オーバーで予選落ち。「いい経験した。何もかも腑抜けだったな」といい「将来のために出てよかった」と、日程に関する協会の対応を歓迎した。
第3日、願ってもない展開になる。4バーディー、ボギーなしで中嶋常幸は、最終18番で4メートルのバーディーを沈めて通算13アンダーに伸ばし、首位を守った尾崎将に1打差2位でホールアウトした。同じ組の芹沢信雄も13アンダーだったが、先にスコアを提出。最終日最終組で尾崎将との直接対決を選んだ。「最終組で僕ら(尾崎将)と戦わなきゃならない。大会が盛り上がるし、僕もやりがいがある」と、日刊スポーツは伝える。通算14アンダーで上がって来た尾崎将は、中嶋の意図に「そういう心がけはいいね」と笑い「やっぱりこうならないと試合は面白くない。どうすれば盛り上がるか、考えてプレーしているからね。それで俺が勝つっていうのが最高なんだから」と、受けて立つ構えを見せる。報知新聞には「それより、前の組に気をつけなきゃ」と、弟の尾崎健夫が66をマークして2打差6位に浮上したことを気にしている。持病の腰痛でこの年は成績が上がっていなかったが「この日を待っていた。最終日はON中心の展開になると思うけど、最後にポンポンとひっかけて競りたい」と、尾崎健は意欲を示した。
その最終日、尾崎将の危惧、尾崎健の言葉通りの展開になった。尾崎健は通算17アンダーとして16番パー5を迎えた。尾崎将は15番を終わって18アンダー、中嶋は16アンダー。約10メートルに2オンした尾崎健がこのイーグルパットを沈めた。続く17番パー3。奥に外したが、約7メートルをチップインするバーディーで通算20アンダーに抜け出し、16番でバーディーを取った以降は伸ばせなかった尾崎将、中嶋を逆転してのプロ日本一に輝いた。
「奇跡だな」と終盤のプレーを振り返った尾崎健。徳島県出身の尾崎兄弟にとっては、四国で初めて行われたこの大会は格別な思い入れもあった。3年ぶり2度目のタイトルに、日刊スポーツは「これで一流プレーヤーの仲間入りができたかもしれない。こんないい試合ができて、いい仕事をしたなと思う」という言葉を載せている。敗れた尾崎将は17番で尾崎健のチップインバーディーを知り「健夫が来たのか」と動揺したという。ホールアウト後は「ラッキーボーイ」と声をかけたが「このタイトルは弟にだってやりたくなかったんだ」と本音も吐露している。
プロフィル
尾崎健夫(おざき・たてお)1954~
1954年1月9日生まれ、徳島県出身。兄・将司と同じ徳島海南高では野球部のエースで4番。3年生の秋のドラフトでヤクルトに6位指名を受けたが、入団を断って兄の元でゴルフの道に入った。師匠は林由郎。1975年プロテスト合格。1984年白竜湖ポカリスエットで初勝利。レギュラーツアー通算15勝。賞金ランク最高は3位。1981年に米ツアーでドライビング部門トップを走り「ジェット」の愛称が定着した。
第56回日本プロゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 尾崎 健夫 | 268 | = 69 69 66 64 |
2 | 尾崎 将司 | 269 | = 67 66 69 67 |
3 | 中島 常幸 | 271 | = 67 68 68 68 |
4 T | 白浜 育男 甲斐 俊光 |
272 | = 68 65 72 67 = 68 68 67 69 |
6 | 丸山 智弘 | 274 | = 72 66 68 68 |
7 | 横島 由一 | 275 | = 68 70 65 72 |
8 T | 安田 春雄 芹澤 信雄 木村 政信 初見 充宣 |
276 | = 70 69 69 68 = 67 67 69 73 = 67 71 71 67 = 71 68 70 67 |