第46回日本プロゴルフ選手権(1978年)
2015.04.13
1978年8月21日付報知新聞
小林がAO対決の間隙ついて会心の逆転劇
スルスルッと上がってきた伏兵が、間隙を突いてタイトルをもぎ取る。そんな「してやったり」の勝利を演じたのが小林富士夫だった。北海道・小樽CC(6471メートル、パー72)で初めて開催された。初日、話題をさらったのが、尾崎将司、健夫の尾崎兄弟だった。尾崎将司は、インスタートから、16番パー5で30センチに付け、18番も取るなどこの日6バーディー、1ボギーの67で回って首位に立った。尾崎健夫は、この大会初出場で日本新記録を樹立した。「グリーンエッジが多かったから」という内容ではあったが、15番でグリーンエッジから15メートルを直接入れたバーディーのほか、2パットが2回、あとは全て1パットで収める5バーディー、1ボギーの68。アウト10パット、イン9パットの計19パットで回った。村上隆が1973年(昭48)の月例競技でマークした20パットを上回る18ホール最少パット数日本記録をつくって、兄に1打差の2位発進した。兄が71年日本プロに初優勝した際に使用したパターを譲り受けたと当時の新聞各社は伝えている。新井規矩雄も同じく68で2位につけ、この年それまで4勝を挙げて賞金ランクトップに立っていた青木功、小林ら9人が2打差4位につけた。
2日目、尾崎将が75をたたいて16位に後退。かわって首位に浮上したのが新井だった。1番を3パットのボギーでスタートしたが「ショットがすごくいい」と、6バーディー、2ボギーの68をマークし、通算8アンダーで首位にたった。1打差2位につけたのが青木。左ひじを痛めていたが、ショットが徐々によくなり、16番1メートル、17番80センチにつけるなど、5バーディー、1ボギーの68で回り「あとはパットだけ」と優勝を意識してきた。2打差3位に中村通、上野忠美がつけ、3打差5位に2連覇を狙う中嶋常幸が浮上。4打差で尾崎健、小林らが6位グループにいた。
3日目、尾崎将が意地の急浮上を見せる。激しい雨と風となり、リンクスコースの小樽CCが牙をむく。この中でただひとり、60台で回った。パー5で3つのバーディーなど、18ホール全てパーオンして4バーディーの68。通算6アンダーで首位に立ち「このコンディションでノーボギーはいいねえ」とコメントした。「セカンドで使うクラブが大きくなるのは自分に有利」と、ロングヒッターの持ち味を見せた。寒さで左ひじを気にする青木が、74とこらえて尾崎将に1打差2位に踏みとどまった。新井は77と崩れて7位に後退。最終組で回る「AO対決」の期待が膨らんだ。中嶋が2打差5位に付け、上位に役者がそろった。
ところが、最終日、ふたを開けると尾崎将、青木が伸びない。左ひじにサポーターを巻いた青木はアウトで40と崩れて脱落。「2つ伸ばして8アンダーで優勝」と目論んでいた尾崎将はボギーが先行する展開で伸び悩む。上がってきたのがアウト3バーディーで一時8アンダーまで行った中村だったが、インに入って10、12、14番で落とす。入れ替わるように出てきたのが中嶋と、3日目10位の小林。小林はショット好調で16、17番連続バーディーなど、ボギーなしの67で回り通算7アンダーに。中嶋はボギーが先行する立ち上がりも7番から3連続バーディーなどでこちらも7アンダーでホールアウト。2人のプレーオフに突入した。
最初のホールは16番パー5。中嶋は2オン。グリーンオーバーした小林は第3打も7メートルと寄せきれなかった。中嶋はイーグルパットを2メートル以上オーバーさせるが、有利な状況に変わりはない。小林は「フックラインだが、フックに打ったら外れる。ストレートで思い切って攻めよう」と思ったと、当時の報知新聞は伝えている。先に7メートルを決めた。追い詰められた中嶋が外して3パット。小林がプロ9年目で初の公式戦タイトルをプロ日本一で飾った。尾崎将は4位、青木は8位だった。
「優勝する人にパットのラインはないんですね。勝とうとする気持ち、勝ちたいという欲望、それらが勝手にラインを出し、すべてをカップに向かって動かし、ボールは入っていくんですねえ」と、小林は振り返っている。東京・日体荏原高校時代は野球部。卒業後、横浜の中央卸売市場に入り、サラリーマンやトラック運転手など職を転々。22歳の時にゴルフを知り、練習場に入って26歳でプロテストに合格した。月例競技からはい上がってきた苦労人。AO対決の間隙を突いて、会心の逆転優勝だった。
プロフィル
小林富士夫(こばやし・ふじお)1944年7月15日生まれ、神奈川県出身。日体荏原高時代は野球部で外野手を務め、東京都大会決勝まで進んでいる。22歳からゴルフを始め、26歳の1970年にプロテスト合格。77年ブリヂストン・トーナメントでツアー初優勝し、ツアー通算5勝。シニアでは2001年日本シニアオープンを制し、57歳3カ月の最年長優勝記録(当時)をつくっている。
第46回日本プロゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 小林 富士夫 | 281 | = 69 71 74 67 |
2 | 中嶋 常幸 | 281 | = 71 68 73 69 |
3 | 草壁 政治 | 282 | = 70 70 73 69 |
4 T | 尾崎 将司 中村 通 |
283 | = 67 75 68 73 = 71 67 73 72 |
6 T | 上野 忠美 尾崎 健夫 |
284 | = 69 69 73 73 = 68 72 72 72 |
8 T | 鷹巣 南雄 青木 功 |
285 | = 69 72 72 72 = 69 68 74 74 |
10 T | 岩下 吉久 山本 善隆 |
286 | = 70 74 71 71 = 71 70 73 72 |