第37回日本プロゴルフ選手権(1969年)
2015.04.20
1969年9月8日付スポーツニッポン
亡父の墓前に捧げた初優勝
AOが台頭する直前、1960年代終盤から70年代初めの日本プロゴルフ界は「和製ビッグ3」と呼ばれた杉本英世、河野高明、安田春雄らを中心に群雄割拠の時代だった。戸田藤一郎、中村寅吉、石井朝夫といったベテラン勢も健在で、関西では杉原輝雄や島田幸作が存在感を増していた。強者がひしめく中、優勝経験のない28歳の若者が日本プロのビッグタイトルを手にしたのが1969(昭44)年9月のことだった。愛知県の春日井CC(6900ヤード、パー72)で行われた日本プロは予選2ラウンドを終え杉本が予選で姿を消し、河野、安田が下位に低迷するという波乱含みの展開。通算6アンダーで首位に立ったのは石井裕士(当時の表記は石井弘)と日吉定雄という未勝利コンビだった。
最終日は36ホールの勝負。前半の18ホールを69で回った日吉と、67の村上隆が首位に並び、石井は1打差の3位に後退していた。
午後、激しい雨がコースを覆い、雷鳴もとどろいた。プレーは一時中断。これが、勝負の行方を左右した。
石井は再開直後の8番でバーディーを奪って勢いをつける。一方で日吉は中断でリズムを崩したのか10番から3連続ボギー。午後のラウンドに入ってショットが乱れていた村上は中断後も立て直すことができなかった。
最後の9ホールで石井は34をマーク。後続を突き放した。
終わってみれば2位に浮上した杉原に5打差をつける圧勝。19歳でプロとなった石井にとって待ちに待った初優勝だった。
密かな自信はあった。会場の春日井CCで6月に月例が開催されており、そこで65のコースレコードをマークしていたからだ。この実績もあって、スポーツニッポン新聞によると同郷の先輩・内田繁は大会前に石井を優勝候補に挙げていたようだ。未勝利ではあったが、実力の高さはプロ仲間も認めていたのだろう。
どうしても勝ちたい理由もあった。3カ月前に肝臓がんで他界した父親の墓前に早く初優勝を報告したいという思いが石井を突き動かしていた。
「一度も優勝した姿を見せられなかった。だから、どうしても勝ちたかった」という石井の言葉がスポーツニッポン新聞に掲載されている。
同紙の記事はこう続いている。
『「これからお父さんのお墓参りにいって報告してきます」。笑顔がまた泣き顔になる。しかしその泣き顔はこれまで見せた石井弘の顔の中で最高の美しさを見せていた』 2014年に日本プロゴルフ殿堂入りした石井朝夫をはじめ、数々の名プレーヤーの故郷である静岡県の富戸出身。伊豆半島の小さな町から、またひとり強い選手が生まれた。
プロフィル
石井裕士(いしい・ひろし)1941~2006静岡県出身。1960年にプロテスト合格。69年の日本プロで初優勝を飾ったほか、関西プロ(75年)、ブリヂストンオープン(73、78年)、ダンロップ国際オープン(79年)など9勝を挙げた。シニアでは1年目の91年に日本プロシニア、関西プロシニアなどを制して賞金王に輝いている。
第37回日本プロゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 石井 弘 | 277 | = 69 69 70 69 |
2 | 杉原 輝雄 | 282 | = 69 73 69 71 |
3 | 村上 隆 | 283 | = 73 67 67 76 |
4 | 森 憲二 | 285 | = 68 73 71 73 |
5 T | 陳 健忠 日吉 定雄 |
286 | = 73 72 70 71 = 67 71 69 79 |
7 T | 鷹巣 南雄 内田 袈裟彦 鈴村 久 安田 春雄 |
287 | = 73 71 70 73 = 74 70 72 71 = 71 69 73 74 = 74 74 68 71 |