第30回日本プロゴルフ選手権(1962年)
2017.05.15
1962年5月25日付日刊スポーツ
46歳の寅さんが「技術と精神の結合」で4勝目
1962(昭和37)年に30回の節目を迎えた日本プロ。この年の会場は三重県の四日市CC(7255ヤード、パー72)だった。初日、まだ5月だというのに夏を思わせるような暑さの中、126選手がスタートしていった。首位に立ったのはコースレコードの69を叩き出した磯村行雄。前年優勝の林由郎ら4人が1打差で追う形になった。
小雨の2日目、2打差6位にいた中村寅吉が1番パー5で50ヤードの3打目を放り込んでイーグル。絶好のスタートを切った。アウトはさらにバーディーを2つ加えて4アンダーの32。初日に磯村が記録したコースレコードの更新を狙ったインは2オーバー、38と失速したがこの日70でトータル3アンダー、141。磯村と首位に並んだ。
36ホールの最終日、若い藤井は76と崩れて後退した。中村も74と苦しんだが単独首位。石井朝夫、杉原輝雄らが1打差に迫ってきた。
最終ラウンド、中村は1、2番で連続バーディーを奪って後続に重圧を与える。アウトは3バーディー、2ボギーの35。追う選手たちはみなアウトでオーバーパーを叩き、差が開いた。インに入り中村は10、11番とパー。1~3ラウンドですべてボギーと苦手の12番パー4(415ヤード)に入った。2打目、ここが勝負どころと読んだのか、報知新聞社発行の月刊誌『ゴルフ』は「中村はいつになく慎重。カメラをめずらしく制止した」と記している。中村は2打目を7mにオン。初めてこのホールをパーにまとめた。ゴルフ誌は「それまでパーをとれなかったところなので、第二打はいままでにかってなかったほどにシンケンに打ったんだ。あんなに気をつかったショットははじめてだ」(原文のまま)という中村のコメントを掲載している。
中村はその後もパーを重ね、16番で決定的なバーディーを奪う。17、18番をパーにまとめ、通算3アンダー、285。46歳の大ベテランは2位に4打差をつけて3年ぶりの4勝目。宮本留吉、戸田藤一郎、林由郎の持つ大会最多勝記録に並んだ。
ゴルフ誌は「ライバル寅さんの強さ」と題して林由郎の解説を掲載している。その一部を抜粋してみよう。
「寅さんにはウィーク・ポイントがみあたらない。われわれがくやしいと思うほど、うまいのがグリーンから100ヤード以内のショットだ。これにはもちろんパッティングも含まれている。100ヤード以内のショットは、表面的に正確そのものであると同時に、ヨミの深さが心にくいばかりだ。そして自分で作戦をたてると、必ずそれをやりとげる自信を持っている。また必ずそのとおり行くのだ。寅さんはドライバーはときどき曲がる。しかし最後のしめるべきポイントに自信を持っているから、そんなことは全然意にかいさない。(中略)寅さんはグリーンに近づくにしたがって。水ももらさぬ切れ味を示す。その技術のさえが精神的にも落ちつきをあたえるのだ。寅さんの強さは「技術と精神のたくみな結合」といえる。」(原文のまま)
超一流が語る超一流の強さ。46歳にして頂点に君臨した中村のゴルフの真髄がこの言葉に詰まっているのではないだろうか。
プロフィル
中村寅吉(なかむら・とらきち)1915~2008
神奈川県出身。1934年にプロとなるが、大輪の花を咲かせたのは戦後。50年の第1回関東オープンで初優勝を飾ってから第一人者へと駆け上がった。57年にはカナダカップで団体、個人の2冠を達成している。主な戦績は日本プロ4勝、日本オープン3勝、関東オープン7勝、関東プロ3勝。また、日本女子プロゴルフ協会初代会長として黎明期の女子プロ界を支えた。12年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第30回日本プロゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 中村 寅吉 | 285 | = 71 70 74 70 |
2 T | 杉原 輝雄 北本 隆 |
289 | = 73 71 72 73 = 70 74 72 73 |
4 T | 石井 朝夫 藤井 義将 |
291 | = 72 72 72 75 = 72 70 76 73 |
6 T | 磯村 行雄 加藤 辰芳 小野 光一 |
292 | = 69 72 76 75 = 76 72 72 72 = 70 76 73 73 |
9 | 栗原 甲子男 | 294 | = 71 76 69 78 |
10 T | 戸田 藤一郎 工藤 幸裕 森岡 比佐志 |
295 | = 73 74 78 70 = 77 76 74 68 = 74 75 76 70 |