マレット型のパターを手にラインを読む樋口（アサヒゴルフ1976年10月号より）

女王・樋口がイップスを乗り越えてつかんだ復活優勝

　イップスという言葉がある。スポーツ選手が、それまで当たり前にできていた動作をうまくできなくなってしまう症状のことを指す。精神的なものが主たる原因だといわれている。
　ゴルフではパッティングやアプローチの際に手がうまく動かなくなるという症状が多い。中にはドライバーイップスで苦しんだ選手もいる。イップスが原因で競技生活をあきらめざるを得なることすらある、深刻な病だ。
　女子プロゴルフ界を牽引してきた樋口久子もパッティングのイップスに陥ったことがある。1970年代のことだ。当時、米国と日本でプレーしていた樋口は米国の速いベントグリーンと日本の芝目の強い高麗グリーンとのギャップから徐々にパッティングの感覚を失い、手が思うように動かなくなっていた。テークバックがまっすぐに引けない。症状が悪化したのが1975（昭和50）年。ショットの精度は相変わらず高かったが、グリーンに乗ってから3パットが続出。当時はまだイップスという言葉自体が浸透しておらず、メディアには「3パット病」と書かれるほどだった。
　その年、樋口は米国でパッティングに定評のあるプロゴルファー、トミー・ジェイコブスに指導を仰いだ。レッスン料は1日100ドル。3日間、パッティングのみ教わった。構えから打ち方まであらゆることを変えた。さらにはプロ入り前から愛用していたキャッシュインタイプのパターにも別れを告げ、ヘッドの重いマレット型のパターにした。覚悟を持って自分を変えることに挑んだ結果、徐々に恐怖心は薄らいでいった。
　イップスに苦しんだ1975年、樋口は賞金女王こそ守ったが1勝に終わった。日本女子プロでは第1回大会からの連勝記録が「7」で止まってしまった。翌1976年の日本女子プロは樋口にとって完全復活をかけた戦いでもあった。
　樋口はこの年も例年通り、シーズン前半は米国でプレーしていた。日本女子プロは帰国初戦。3カ月ぶりの日本のトーナメントだった。会場は前年と同じ大阪府のＰＬＣＣ（5742ｍ、パー74）だった。
　初日は2オーバーの76で3打差の7位。順位的には満足いくものではなかったが、この年から使い始めたブラックシャフトのドライバーで距離を稼ぎ「セカンドで2クラブは違う」（スポーツニッポン紙より）と手応えを口にしていた。
　2日目、樋口はベストスコアタイの3アンダー、71を叩き出し、通算1アンダーで単独首位に立った。1打差の2位につけたのは樋口と同じ71をマークした岡本綾子。岡本は後に樋口同様世界で大活躍するわけだが、当時は前年入会したばかりの新鋭だった。その岡本は「とにかくあの人の飛距離は別格」（スポーツニッポン紙より）と樋口も一目置く飛ばし屋だった。この2人が日本女子プロの大舞台で初めて優勝を争ったわけだ。
　ただ、この時点では岡本はまだ経験が浅かった。最終日、前半で42と崩れて早々と後退してしまった。グリーン上の心配がなくなった樋口は自分のゴルフを続けた。スコアをひとつ落としはしたが通算イーブンパーで2位の則竹徳江に3打差の快勝。前年10月の東海クラシック以来、9カ月ぶりの復活Ｖに「本当に長かった。これでようやく以前の私に戻れそうだわ」（日刊スポーツ紙より）と喜んだ。
　イップスを克服してつかんだ勝利は樋口に大きな自信をもたらした。大会後、樋口は英国に飛んだ。米女子ツアーの1戦でもあるコルゲート欧州女子オープンに参戦するためだ。そこでも樋口は勝った。日本人選手にとって初めての米女子ツアー制覇となる記念すべき優勝だった。

プロフィル

樋口久子（ひぐち・ひさこ）1945～
埼玉県出身。1967年の第1回女子プロテストでトップ合格。日本女子プロは第1回大会からの7連覇を含む通算9勝、日本女子オープンは第1回大会からの4連覇を含む通算8勝を挙げている。国内通算69勝、賞金女王11回。76年には米女子ツアーで日本人選手として初優勝を飾り、77年の全米女子プロで日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。97年から14年間日本女子プロゴルフ協会会長を務め、03年には日本人で初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。13年に日本プロゴルフ殿堂入り。

第9回日本女子プロゴルフ選手権成績