第5回日本女子プロゴルフ選手権(1972年)
2018.03.19
1972年7月15日付報知新聞
手術を乗り越え、女王・樋口が5連覇達成
1972(昭47)年春、女王・樋口久子はまさかの出来事でシーズンインが遅れてしまった。急性盲腸炎を患い、手術を受けたのだ。例年通り4月から渡米する予定が狂い、米ツアーに参戦できたのは6月になってから。試合数は例年の10試合前後から3試合にとどまり、成績の方も45位、29位、14位と今ひとつ冴えがなかった。そんな樋口の帰国第1戦となったのが5回目を迎えた日本女子プロである。会場は3年連続で愛知県の貞宝CC(6575ヤード、パー74)。前年まで他を寄せつけない強さで4連覇を飾っていた樋口だったが、この年ばかりは様子が違ったようで、アサヒゴルフ誌は「いつになく“樋口危うし”の前評判が立った」と記している。
だが、樋口はやはり樋口だった。雨が降り続き、コースのあちこちに水たまりができるような悪コンディションの中、5バーディー、4ボギーで1アンダー、73をマークして2位の山崎小夜子に2打差をつけて首位に立ったのである。アサヒゴルフ誌は前述の言葉のあと、「初日を終えると同時に、そんな言葉は消えてしまった。帰国第一戦、病み上がりで飛距離が落ちたようにも見えるが、やはり女王の貫録は衰えていなかった」と続けている。
前年までは1日27ホールの2日間競技だったが、この年から1日18ホールの3日間競技へと変更になった。雨がさらに激しくなった2日目、樋口は77と苦戦したが差を3打に開いた。81と失速した山崎に代わって2位に浮上してきたのは73で回った二瓶綾子だった。
ようやく日差しが戻った最終日、樋口は手堅く1オーバーの75にまとめた。4位に後退していた山崎が2アンダー、72の好スコアをマークしたが、3打差にまで迫るのが精いっぱい。終わってみれば盤石の強さで樋口が大会5連覇を成し遂げた。
前年の最終戦、美津濃トーナメントで樋口は山崎に競り負けていた。この年の全米女子プロでは山崎が初日に日本人選手初のメジャー首位に立つなど存在感を示し、最終順位でも樋口を上回る16位に入っていた。それだけに、樋口にとっても山崎は気になる存在だったようで「山崎さんが好調と聞いていたので苦しい試合でした」(日刊スポーツ紙より)とコメントしている。
山崎は2年連続の2位。「今までは樋口さんとの差が5とすれば、今は少なくとも2ぐらいに縮まっていると思います」(日刊スポーツ紙より)と敗れはしたが前向きな言葉を口にしていた。
プロフィル
樋口久子(ひぐち・ひさこ)1945~埼玉県出身。1967年の第1回女子プロテストでトップ合格。日本女子プロは第1回大会からの7連覇を含む通算9勝、日本女子オープンは第1回大会からの4連覇を含む通算8勝を挙げている。国内通算69勝、賞金女王11回。76年には米女子ツアーで日本人選手として初優勝を飾り、77年の全米女子プロで日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。97年から14年間日本女子プロゴルフ協会会長を務め、03年には日本人で初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。13年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第5回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 樋口 久子 | 225 | = 73 77 75 |
2 | 山崎 小夜子 | 228 | = 75 81 72 |
3 | 二瓶 綾子 | 231 | = 80 73 78 |
4 | 岡田 美智子 | 234 | = 79 76 79 |
5 | 石井 美和子 | 236 | = 84 76 76 |
6 | 中村 悦子 | 237 | = 81 78 78 |
7 T | 荒川 百合子 横山 美智子 |
238 | = 78 79 81 = 78 81 79 |
9 | 藤村 政代 | 240 | = 79 82 79 |
10 | 鳥山 由紀子 | 241 | = 80 83 78 |