第4回日本女子プロゴルフ選手権(1971年)
2018.07.17
1971年7月26日付スポーツニッポン
再開直後のチャージで樋口が4連覇
1971(昭46)年、日本女子プロは4年目を迎え、規模は徐々に大きくなっていた。参加者は過去最多の46人。第1回大会で15万円だった優勝賞金は50万円にまで増加した。7月24日の初日、会場の貞宝CC(6575ヤード、パー74=愛知県)は前夜からの雨でティーショットがほとんど転がらない状態。ただでさえ長いコースが一層長く感じられた。
27ホールをプレーし、首位に立ったのは2オーバー、113の樋口久子と山崎小夜子だった。3連覇中の樋口は首位には立ったもののショットに精彩を欠いていた。日刊スポーツによるとパーオンしたのは半数に満たない13ホールだけ。「手打ちで体を使っていないのは、自分でもよくわかっているのですが……」(日刊スポーツより)と苦しい胸の内を明かした。
翌日の最終日も27ホールのプレーである。雨は激しさを増し、雷鳴までとどろいた。プレーは一時中断。約1時間後に再開された。
樋口はこの中断をプラスにとらえていた。「雨と中断で誰もが調子を崩す」(月刊アサヒゴルフより)と展開を読んだ。プレー再開は11番から。樋口は「11、12番が勝負」(スポーツニッポン紙より)と自らに言い聞かせた。
樋口の読み通り、山崎をはじめ上位陣は再開後にボギーを連発した。対する樋口は集中力を極限まで高め、11番で4m、12番で6mを沈めて連続バーディー。一気に差を広げて格の違いを見せつけた。
こうなるともう女王に抗う者はいない。最後の9ホールは40を叩いたが、大勢に影響はない。山崎に6打差をつけ、悠々大会4連覇を達成した。
前日、ホールアウト後に師匠の中村寅吉の指導を受けながら約1時間、ショットの立て直しを図った。「中村先生が試合をすべて見てくれていますし、ショットが悪かったりするとすぐ直してもらえます。先生のお陰なんですよ」(スポーツニッポン紙より)と樋口は師匠に感謝しきりだった。
もう1点、前年から始めた米ツアー挑戦の成果も見逃せない。樋口はアメリカでヤーデージブックの存在を知り、歩測という技も覚えた。当時、日本の選手は目測で打つべき距離を決めていた。アバウトな距離感だったわけだ。これに対して樋口はヤーデージブックと歩測を駆使して正確な距離を割り出し、自信を持ってクラブを選んでいた。この差は大きい。実際、最終日に樋口と同組でプレーした中村悦子は「樋口さんはアメリカに行ってすごく慎重になったわ。距離は自分の足で確かめるし、攻め方が実にうまくなった」(日刊スポーツより)と証言している。
無敵の大会4連覇。樋口の進撃はこの先もまだまだ続いた。
プロフィル
樋口久子(ひぐち・ひさこ)1945~埼玉県出身。1967年の第1回女子プロテストでトップ合格。日本女子プロは第1回大会からの7連覇を含む通算9勝、日本女子オープンは第1回大会からの4連覇を含む通算8勝を挙げている。国内通算69勝、賞金女王11回。76年には米女子ツアーで日本人選手として初優勝を飾り、77年の全米女子プロで日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。97年から14年間日本女子プロゴルフ協会会長を務め、03年には日本人で初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。13年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第4回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 樋口 久子 | 228 | = 113 115 |
2 | 山崎 小夜子 | 234 | = 113 121 |
3 | 中村 悦子 | 238 | = 115 123 |
4 | 小林 法子 | 242 | = 119 123 |
5 | 荒川 百合子 | 243 | = 120 123 |
6 | 坂本 美代子 | 244 | = 119 125 |
7 | 池田 ヨツ子 | 245 | = 120 125 |
8 T | 荒井 景子 小川 信子 横山 美智子 高田 徳子 |
247 | = 118 129 = 119 128 = 121 126 = 123 124 |