第32回日本女子プロゴルフ選手権(1999年)
2018.04.16
優勝トロフィーを掲げる城戸富貴(写真提供:日本女子プロゴルフ協会)
プロデビューした思い出の場所で城戸が公式戦初優勝
1900年代の最後の年、1999(平成11)年の女子プロゴルフ界は30代の中堅、ベテランが活躍した1年だった。賞金女王に輝いたのは33歳の村口史子。公式戦は日本女子オープンを34歳の村井真由美が、JLPGA明治乳業カップは30歳の肥後かおりが制した。公式戦の残る1試合、日本女子プロもまた30代の選手が主役となった。日本女子プロの会場は滋賀県の琵琶湖CC(6500ヤード、パー72)。1959年に滋賀県初のゴルフ場として開場し、すでに日本オープンや関西オープンの開催実績があるコース。女子ツアーも1985年から3年間、三菱電機ファンタスレディスが開催されていた。
9月9日の大会初日は36歳の中野晶が3アンダー、69で首位に立ち、37歳の塩谷育代ら3人が1打差2位につけた。
残暑で最高気温が30度を超えた2日目、5位にいた城戸富貴がただ1人の60台となる69をマークして通算4アンダーの首位に浮上した。プロデビュー15年目、37歳のベテランは「宿舎のドアで右手を挟んで人さし指の皮がめくれてしまい、グリップに力が入らなかったのがよかったのかも…」(スポーツニッポン紙より)とケガの功名を強調していた。2打差の2位は中野。通算1アンダーの3位には川波由利と鄭美琦がつけた。
暑さがさらに増した3日目は上位陣がスコアメークに苦しんだ。2位スタートの中野は74と崩れ、3位にいた川波は76、鄭は81と大きく後退した。そんな中、首位の城戸は半分の9ホールでパーオンを逃しながらも71にまとめた。通算5アンダーで2位の中野との差は5打にまで広がった。ここまで4勝を挙げている城戸だが、公式戦では7位が最高で首位で最終日を迎えた経験はなかった。「このまま眠らないほうがいいのか、いっそすぐに寝てしまったほうがいいのか…という心境です」(LPGA MEMBER GUIDE2000より)という言葉からは緊張感がにじんでいた。
最終日、追う中野がいきなり1番でダブルボギーを叩いた。城戸は2番でバーディーを先行させる。序盤から差は大きく広がった。それでも、公式戦の重圧からは容易に逃れることはできない。パッティングでは手が震え、自分の名前が一番上にあるスコアボードを見るたびに鳥肌が立った。
2位に浮上してきた米山みどりに6打差をつけて迎えた最終ホール、1mのパーパットを沈めた城戸の目から涙がこぼれ落ちた。初日から71、69、71、70と4日間すべてアンダーパーの完勝。「奇跡だよ。奇跡が起きたという感じ。だって4日間も上手にできるなんて…やっぱり奇跡」(LPGA MEMBER GUIDE2000より)と声をうわずらせた。
4度目の挑戦でようやくプロテストに合格したのが1984年秋だった。翌85年、三菱電機ファンタスレディスで城戸はプロデビュー戦を迎えた。そう、場所はここ琵琶湖CCだったのだ。城戸のスコアは78、84。無名の新人は通算18オーバーでプロの厳しさを味わった。城戸よりスコアが悪かったのはたったの3人だった。15年の時を経て、同じ場所で女子プロ日本一の称号を勝ち取った。デビュー当時の自分と今の自分を重ね合わせ「メジャーなんて無縁だと思っていたけど、やればできるということを実感できた」(スポーツニッポン紙より)と感慨にふけった。プロデビューから初シード獲得まで8年かかった遅咲きの苦労人。37歳での大会初優勝は今もなお、最年長記録である。
プロフィル
城戸富貴(きど・ふき)1961~富山県出身。高校卒業後に富山CCに就職し、84年にプロテスト合格。93年のダイキンオーキッドレディスで初優勝を飾った。同年は2勝を挙げ、賞金ランキングは自己最高の8位に。通算6勝。公式戦は99年日本女子プロの1勝。
第32回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 城戸 富貴 | 281 | = 71 69 71 70 |
2 | 米山 みどり | 287 | = 71 74 72 70 |
3 | 芳賀 ゆきよ | 289 | = 74 72 71 72 |
4 | 森口 祐子 | 290 | = 75 71 73 71 |
5 T | 中野 晶 平瀬 真由美 川波 由利 |
291 | = 69 73 74 75 = 76 73 69 73 = 72 71 76 72 |
8 T | 岡本 綾子 不動 裕理 韓 熙圓 |
292 | = 72 73 73 74 = 72 76 70 74 = 71 74 75 72 |