第3回日本女子プロゴルフ選手権(1970年)
2017.09.28
1970年日本女子プロ報知新聞社発行「ゴルフ」1970年10月号
米国流ファッションで登場した樋口が大会3連覇
1970(昭和45)年4月、樋口久子と佐々木マサ子は米国に向かった。目的は米女子ツアーに参戦するため。自分たちのゴルフが“本場”でどれだけ通用するのか、期待と不安が入り交じった渡航だった。目にするもの、経験することが何もかも新鮮だった。中でも樋口の興味を引いたのが選手たちのファッションだった。ウェアはみなカラフル。中にはノースリーブやミニスカートをまとった肌の露出が多い選手もいる。白いポロシャツにスラックスという地味な服装が基本だった日本とはまるで違っていた。
10試合を戦い、帰国は7月。同月の日本女子プロ(愛知・貞宝CC、6575ヤード、パー74)で大会連覇中の樋口は早速“米国流ファッション”を採り入れていた。
初日、樋口はさわやかな水色のシャツにスカートという組み合わせで登場した。27ホールをプレーしてひとつもバーディーを奪えずに4オーバー、115。「渡米中の疲れがきょうあたりどっと一度に出た感じなんですよ」(スポーツニッポン紙より)とプレーには納得いかない様子。それでも、2位の中村悦子に1打差をつけての単独首位と、しっかり“定位置”でスタートした。
最終日はシャツにスカート、そして帽子までピンクで統一。女性らしさ、可愛らしさを強調したコーディネートは一際目立っていた。
この日はイン、アウト、インの順で27ホールをプレー。2ホール目の11番で初バーディーを奪うなどして最初のインは2アンダーの35をマークした。アウトで一時、中村に並ばれたがすぐに突き離す。最後のインは気温35度の猛暑に体力を奪われたのか40と苦戦したが、ほかの上位陣も軒並みスコアを崩し、終わってみれば2位の岡田美智子に5打差をつける快勝だった。
優勝賞金25万円のほか副賞の小型乗用車も手にした樋口は「米国へ行ってきて負けたなんていわれたくなかったから」(日刊スポーツ紙より)とフロントランナーとしての責任感を持って大会に臨んだことを吐露。そして「米国で学んだことは、まだまだ未熟だということです。大きなショットは大差ないと思うけど、米国には10年以上のキャリアを持つ30歳以上の女子プロが多く、彼女らは一様にアプローチやパットがとてもうまいんです。私ももっとキャリアを積まなくてはなりませんね」と大きな刺激を受けた米国遠征だったことを口にした。
これで第1回大会から負けなしの3連覇。無敵の女王が米国遠征でさらにパワーアップした。
プロフィル
樋口久子(ひぐち・ひさこ)1945~埼玉県出身。1967年の第1回女子プロテストでトップ合格。日本女子プロは第1回大会からの7連覇を含む通算9勝、日本女子オープンは第1回大会からの4連覇を含む通算8勝を挙げている。国内通算69勝、賞金女王11回。76年には米女子ツアーで日本人選手として初優勝を飾り、77年の全米女子プロで日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。97年から14年間日本女子プロゴルフ協会会長を務め、03年には日本人で初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。13年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第3回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 樋口 久子 | 227 | = 115 112 |
2 | 岡田 美智子 | 232 | = 118 114 |
3 | 中村 悦子 | 235 | = 116 119 |
4 | 杉本 伊代子 | 239 | = 121 118 |
5 T | 池田 ヨツ子 佐々木 マサ子 |
240 | = 120 120 = 119 121 |
7 | 二瓶 綾子 | 242 | = 119 123 |
8 T | 小川 美智惠 山崎 小夜子 |
243 | = 124 119 = 120 123 |
10 | 大場 藤子 | 244 | = 122 122 |