第14回日本女子プロゴルフ選手権(1981年)
2015.06.15
1981年9月28日付報知新聞
ホールインワンが導いた涙の日本一
1981(昭和56)年の女子プロゴルフ界は岡本綾子の独壇場だった。初戦から一度もベスト10を外すことなく9月に入り、日本女子プロを迎えた時点で出場20試合中7勝、2位6回という驚異的な成績を残していた。日本女子プロの優勝候補筆頭はもちろん岡本。しかも直前は日本女子プロ東西対抗、ミヤギテレビ杯女子オープンと2週連続で優勝しており、死角は見当たらなかった。
だが、勝負の世界は何が起こるか分からない。大会初日、雨の中、千葉県の五井CC(5450メートル、パー72)に訪れたギャラリーはまさかの光景に目を疑った。岡本が81と大きく崩れてしまったのだ。
スポーツニッポン新聞は「これまで好調でいずれは悪くなる時がくると思っていたが、それがよりによって大事な選手権にぶつかるなんて…」という岡本の落胆の声を掲載している。首位・池渕富子からは12打差。早くも優勝が絶望的となってしまった。
2日目も調子は戻らず、74。大本命が予選で姿を消した。
トップに立ったのは岡本と同じソフトボール出身の小林洋子。2日とも70で回り、通算4アンダーで涂阿玉と大迫たつ子を1打抑えた。
岡本不在の最終日、優勝争いは大混戦となった。最終組の小林、涂、大迫が一進一退の攻防を繰り広げ、下位からは岡田美智子や藤村政代、日蔭温子らが追い上げる。そんな中、一気に優勝戦線に名乗りをあげた選手がいた。4打差5位で最終日を迎えた鈴木美重子だ。
8番までパーを重ねた鈴木は9番で初バーディーを奪うと、12、13番でもバーディー。勢いに乗って15番パー3を迎えた。距離は120m。9番アイアンで放った1打はグリーンで2度弾んだあと、30cmほど転がってカップに消えた。試合では初めてのホールインワン。優勝争いの主導権を握った。
同時に、ツアー競技で優勝経験のなかった鈴木を未知のプレッシャーが襲った。緊張状態でプレーした16、17番で連続ボギーを叩いてホールインワンの“貯金”を吐き出し、2位グループに追いつかれたのだ。それでも18番を何とかパーにまとめ、通算3アンダーでホールアウト。後続を待った。
小林、涂、大迫の最終組はいずれも3アンダーで最終ホールに入り、3人ともにバーディーパットを残していた。「誰かが入れてくると思って、優勝はあきらめていた」(報知新聞より)という鈴木だったが3人ともに2パットのパー。勝負は4人によるサドンデスプレーオフへと持ち越された。
1ホール目は16番パー4。前年覇者の大迫が第1打を左にOBして脱落した。涂と小林はボギー。80cmのパーパットを沈めた鈴木の目から涙があふれた。
プロテスト合格は1974年。同期には岡本や19歳にして初優勝を飾った吉持(現姓増田)姿子らがいる。プロ入り直後、ミズノプロ新人では彼女らを抑えて優勝した鈴木だったがその後は後れを取っていた。それだけに喜びはひとしおだ。
「長かったですね。どんな小さな大会でも勝ちたいと思っていましたが、こんな大きなタイトルを取れるなんて」(報知新聞より)と感激の面持ちで語った。
優勝副賞は英国製の車。優勝賞金(250万円)の2倍以上、550万円もの高級車を前に、車好きの鈴木は最高の笑顔を見せた。
プロフィル
鈴木美重子(すずき・みえこ)1953~東京都出身。高校時代は陸上部。ゴルフ練習場を経営していた父親の手ほどきで18歳からゴルフを始め、1974年に21歳でプロテストに合格した。ツアー競技優勝は81年日本女子プロの1勝。ツアー競技以外では75年ミズノプロ新人、全日本ミックスダブルス、85年帝産クリナップビューティーズの3勝。現在、日本女子プロゴルフ協会副会長を務める。
第14回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 鈴木 美重子 | 213 | = 73 71 69 |
2 T | 大迫 たつ子 小林 洋子 涂 阿玉 |
213 | = 71 70 72 = 70 70 73 = 73 68 72 |
5 T | 岡田 美智子 藤村 政代 |
214 | = 74 70 70 = 74 69 71 |
7 | 日蔭 温子 | 215 | = 75 70 70 |
8 | 蔡 麗香 | 216 | = 73 75 68 |
9 | 増田 姿子 | 218 | = 77 71 70 |
10 | 池渕 富子 | 219 | = 69 76 74 |