第13回日本女子プロゴルフ選手権(1980年)
2016.04.18
1980年7月14日付スポーツニッポン
惜敗続きに終止符。ようやくつかんだ日本一の座
日本女子プロの優勝は、単なる1勝ではない。女子ツアーで最も長い歴史を誇るトーナメントを制することはすなわち“女子プロゴルファー日本一”の称号を得ること。勝者は歴史に名を刻み、末永く称えられる。だから、女子プロゴルファーならば誰もが一度は手にしたいタイトルである。トップクラスの実力がある者ならばなおさらだろう。しかし、簡単には手が届かないのも事実。指先がかかりそうになってはスルリと逃げていく。そんなもどかしさ、悔しさを何度も味わっていたのが大迫たつ子だった。
1972(昭和47)年に初出場した大迫は74年に初めてのベスト10となる7位に入る。翌1975年には最終日に追い上げたが1打及ばす2位、1976、77年には2年続けて3位となった。1978年には単独首位で最終日へ。大迫自身は2アンダーの72で回ったが、5アンダー、69を叩き出した森口祐子に1打逆転された。1979年は岡本綾子と首位タイで最終日へ。3位以下を大きく引き離しての壮絶な一騎打ちは岡本に軍配があがった。
1975年以降の5年間は2位、3位、3位、2位、2位。そして迎えた1980年大会(滋賀県・蒲生GC=5568メートル、パー72)、2日目にただひとりの60台となる68をマークした大迫は2位の日蔭温子に5打差をつけて首位に立った。前年優勝の岡本は8打差の3位、森口や大会最多の9勝を誇る樋口久子は12打差の10位と大きく離れている。大迫はこの時点で通算14勝。1977年には賞金女王にも輝いており、その実力の高さは誰もが認めるところである。大会初制覇に向けては絶対的に有利な立場だ。だが、これまで日本女子プロで味わってきた苦い経験の数々が脳裏をよぎるのか「いくら差があっても、楽なことではない。ゴルフなんて何が起こるかわからないもの」(日刊スポーツより)と慎重な姿勢を崩さなかった。
最終日、大迫の表情は硬かった。4番で3パットをしてこの日2つ目のボギー。だが、これで勝負師のスイッチが入った。「4番の3パットで気持ちがふっ切れた。守りのゴルフをしていたら、いつまでたっても勝てないと思った」(スポーツニッポンより)。アウトこそ2オーバーの38だったが、インではきっちり1アンダーの35をマーク。日蔭に4打差をつけて、ついに”女子プロゴルファー日本一”の称号をつかみとった。
「こんなにうれしい優勝はありません。やっととれました。これで大先輩樋口さんの足もとまでたどりつきました」(スポーツニッポンより)と喜びをかみしめた。絶対的な存在だった樋口を目標に、誰にも負けないくらい練習を重ねてきた。雌伏の時を経てその努力が結実した。
11位に終わった樋口は「やっぱり、勝つべき人が勝ったのね」(スポーツニッポンより)と語った。女王が認めた勝者だったのだ。大迫はこの年、3勝を挙げて2度目の賞金女王の座に就いた。
プロフィル
大迫たつ子(おおさこ・たつこ)1952~宮崎県出身。中学卒業後にキャディーとして宝塚GC(兵庫県)に入社。定時制の高校に通い、仕事をこなしながらプロを目指し1971年にプロテストに合格した。通算45勝を挙げ、77、80、87年には賞金女王に輝く。公式戦8勝(日本女子プロ4勝、日本女子オープン2勝、LPGAレディーボーデンカップ2勝)は歴代2位。2015年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第13回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 大迫 たつ子 | 212 | = 71 68 73 |
2 | 日蔭 温子 | 216 | = 73 71 72 |
3 T | 吉川 なよ子 岡本 綾子 |
220 | = 77 72 71 = 75 72 73 |
5 | 清元 登子 | 221 | = 74 75 72 |
6 T | 岡田 美智子 中村 悦子 |
222 | = 72 75 75 = 72 77 73 |
8 | 荒川 百合子 | 223 | = 74 77 72 |
9 T | 高須 愛子 森口 祐子 |
224 | = 76 79 69 = 76 75 73 |