第11回日本女子プロゴルフ選手権(1978年)
2014.09.15
7月17日付サンケイスポーツ
樋口一強から群雄割拠の時代へ
女子プロゴルファー日本一を決める日本女子プロは10回大会を終えた時点で樋口久子が9勝と驚異的な勝率を誇っていた。連勝こそ75年に「7」で止まったが、76、77年と再び傑出した強さでタイトルをつかみとっていた。78年の日本女子プロも優勝候補の大本命は樋口だった。会場は大阪のPLカントリークラブ(5742m、パー74)。樋口は初日こそパープレーの74で10位に甘んじたが2日目にコースレコードとなる5アンダーの69をたたき出して一気に単独首位に躍り出た。
残るは18ホール。選手の間には「やっぱりこのタイトルは樋口さんのものね」などと早くも諦めムードが漂っていた。
しかし、最終日の樋口はパッティングに精彩を欠いていた。2番で3パットのボギーが先行。続く3番もボギーとし、雲行きが怪しくなった。
これに対し、序盤からスコアを伸ばしてきたのが最終組の1組前でプレーしていた23歳の森口祐子だった。3カ月前に初優勝を飾ったばかりで勢いに乗る森口はアウトで4バーディー、ボギーなしの33をマーク。首位に立った。
インに入ると11、12番でボギーを叩き、一時は首位の座を譲ったが、14、15、17番でバーディーを決めて再び首位に返り咲いてホールアウトした。1打差で追っていた最終組の大迫たつ子が最終ホールでバーディーを奪えず、森口の優勝が決定。樋口はまさかの79という乱調で6位に終わった。
森口は富山県で生まれ育ち、高校時代はバスケットボール部の主将を務めていた。高校3年時にクラブを握り、卒業後はプロを目指すことを決意。岐阜県の岐阜関CCで52年日本プロ覇者の井上清次に弟子入りした。この時、初対面の井上の口から出たのは「樋口を倒したいか!」という衝撃の言葉。プロを目指すには女王に君臨する樋口を倒すくらいの強い気持でやらなければならないという叱咤激励だった。森口は反射的に「ハイ!」と答えていた。
その樋口を逆転してつかんだビッグタイトル。樋口は「これをきっかけに世界に通用するプロになってほしい」とエールを送った。
師匠の井上には常々「メジャーの歴代優勝者に名を連ねるということは協会がある限り永久に残ること。だから絶対にメジャーに勝て」と言われていた。森口は「プレー中は目の前のことで精いっぱいですからそこまでは考えていませんでした。でも、優勝して戻った時に師匠の喜び方が違っていたので“ああ、メジャーに勝ったのだ”という思いが沸いてきました」と後に語っている。
若い森口が女王・樋口の牙城を崩したことが口火となり、この後、岡本綾子、大迫たつ子らも次々にメジャータイトルを獲得していく。樋口一強時代から群雄割拠の時代へ、女子ツアーは大きく舵を切っていった。
プロフィル
森口祐子(もりぐち・ゆうこ)1955~富山県出身。高校卒業後に研修生となり、20歳でプロテストに合格。1978年のワールドレディスで初優勝を飾った。2人の子供を育てながらツアーで大活躍したママさんプロゴルファーの先駆け。通算41勝のうち18勝は母親になってから挙げたものである。公式戦は日本女子オープン2勝、日本女子プロ1勝、レディーボーデンカップ(現LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ)3勝の計6勝。