第10回日本女子プロゴルフ選手権(1977年)
2015.08.17
1977年7月25日付スポーツニッポン
女王の矜持がもたらした日米制覇
1977年(昭和52)年7月7日、羽田空港には大勢の報道陣が待ち構えていた。6月に全米女子プロ選手権を制して世界の女王となったばかりの樋口久子の帰国を取材するためだ。当時の新聞各紙によるとその数100人超。都内のホテルで記者会見がセッティングされていたにもかかわらず、日本の地を踏んだ直後の樋口の様子を取材するためにこれほどの数の報道陣が集結していたのだ。樋口は快挙のあと米ツアーで3試合をこなしてからの帰国だった。時間がたっていたこともあり、心はすでに落ち着いていた。だから、空港にまで多くの報道陣が押し寄せているとは予想もしていなかった。おびただしい数のフラッシュに驚き、自らが成し遂げたことの大きさを初めて実感した。
2週間後、樋口の姿は大阪府のPLカントリー倶楽部(5742m、パー74)にあった。“凱旋試合”でもある日本女子プロに参戦するためだ。
日本女子プロでは過去9回中8勝。敗れたのは2年前の1度きりだった。揺るぎない大本命。しかも“世界一”の看板を背負ってのプレーだから、勝たなければならないという重圧は例年以上のものがあった。
初日、樋口は3バーディー、3ボギーのパープレーで回った。首位の諸星明美から2打差の4位。悪くはない滑り出しだった。だが、樋口は米国でプレーする時との感覚の違いに悩んでいた。スポーツニッポン新聞は「向こう(米国)ではフェアウエーのボールでも沈んでいるからつねに打ち込むショットをしなければならなかった。でもこっち(日本)は逆に芝生に球が浮いているから状態がよすぎるんですよ。だからインパクトで急に力が抜けちゃう感じがして……」という樋口のコメントを掲載している。ティーショットは問題ないが、アイアンがうまくコントロールできていなかったのだ。帰国後はあいさつ回りや祝賀会、サイン会などに忙殺されて満足に練習する時間が取れなかったことも影響していた。
2日目、樋口は3バーディー、2ボギーの1アンダー、73で回った。パーオンを逃したのは3ホールだけとショットは復調気配だった。しかし、次の問題が降りかかってきた。パッティングだ。
当時の日本は高麗グリーンが主流である。PLCCも例外ではなかった。対して米国はスピードの出るベントが主流。日米を行き来するうち、日本の重いグリーンと米国の速いグリーンの違いに悩み始めてこの2年前には手がうまく動かなくなっていた樋口。今でいうイップスのような症状だった。この時、“病気”は克服していた。それでも帰国初戦で目が強くて重い高麗グリーンにすぐには対応できなかった。
樋口の回想。「夏で目が強いから余計に転がりませんでした。頭では分かっているのだけど、打てませんでした」。もどかしさが募るゴルフだった。
2日目を終えて首位は通算3アンダーの岡本綾子と諸星明美。樋口は2打差の3位となった。
最終日、首位に並んでいた2人のうち、優勝経験のない諸星は序盤からボギーを重ねて後退した。4月のワールドレディスで樋口に競り勝っている岡本はアウトを1バーディー、1ボギーのパープレー。樋口は2番でボギーが先行したが4、6、7番でバーディーを奪い、通算3アンダーで岡本を捕えた。
4位につけていた大迫たつ子がアウトで2つスコアを伸ばして2アンダーとするがインでは伸び悩む。勝負は樋口と岡本の一騎打ちとなった。
10番で樋口がバーディーを奪って一歩前に出たかと思えば、11番で寄せに失敗してボギー。このホールで7mのバーディーパットを決めた岡本が再び単独首位に立つ。
続く12番で樋口はすぐにバーディーを奪い返して並ぶが、13番で3パットのボギーを叩く。14番はともにパーで岡本が1打リードして残り4ホールとなった。
15番パー5、2打目を林に打ち込んで何とかパーをセーブした岡本に対して樋口は確実にバーディーを奪って並ぶ。まさに一進一退の激しい攻防だ。
16番パー4、岡本は2打目をバンカーに打ち込んでボギー、樋口が単独首位に立った。17番パー3、岡本はグリーンを外して連続ボギー。しっかりとグリーンに乗せた樋口はパーをセーブして2打差をつけた。
最終18番パー4、樋口は2打目をバーディーチャンスにつけて勝負を決めた。2年連続9度目の日本女子プロ優勝は日米のビッグタイトルダブル制覇という格別なものとなった。
飛距離では樋口を圧倒していた岡本は「樋口さんの計算され尽くしたショットにはかなわない」(日刊スポーツより)と脱帽した。日刊スポーツには「(樋口の)顔を見ているだけでも怖かった」という岡本のコメントも掲載されている。それくらい樋口は鬼気迫る顔で戦っていたのだろう。
プレー中、樋口は「アメリカで勝ったのだから日本で勝てないわけがないじゃない」と自分を鼓舞し続けていた。負けることが許されない苦しい戦いを自分のものにできた最大の要因は、世界を制した女王としての矜持だった。
だが、涙はなかった。全米女子プロを勝った時も、うれし涙は見せなかった。「うれしい時は、涙は出ませんよ」というのが樋口流。日に焼けた顔に女王の笑みが広がっていた。
プロフィル
樋口久子(ひぐち・ひさこ)1945~埼玉県出身。1967年の第1回女子プロテストでトップ合格。日本女子プロは第1回大会からの7連覇を含む通算9勝、日本女子オープンは第1回大会からの4連覇を含む通算8勝を挙げている。国内通算69勝、賞金女王11回。76年には米女子ツアーで日本人選手として初優勝を飾り、77年の全米女子プロで日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。97年から14年間日本女子プロゴルフ協会会長を務め、03年には日本人で初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。13年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第10回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 樋口 久子 | 218 | = 74 73 71 |
2 | 岡本 綾子 | 220 | = 73 72 75 |
3 | 大迫 たつ子 | 221 | = 75 73 73 |
4 | 諸星 明美 | 222 | = 72 73 77 |
5 T | 中村 悦子 清元 登子 |
225 | = 76 76 73 = 75 74 76 |
7 | 田村 筭代 | 227 | = 79 74 74 |
8 T | 小林 法子 増田 姿子 |
228 | = 74 76 78 = 79 70 79 |
10 T | 則竹 德江 松下 美子 森口 祐子 |
229 | = 77 76 76 = 73 76 80 = 74 80 75 |