第28回日本プロゴルフマッチプレー選手権(2002年)
2021.11.24
2002年9月9日付日刊スポーツ
佐藤が苦手のマッチプレー克服し日本3冠
この年で、公式戦としての大会の幕を閉じた。北海道・ニドムクラシックCイコロC(6957ヤード、パー72)で行われた。第1日1回戦(18ホール)では、片山晋呉が出場3回目で初めて初戦を突破した。加瀬秀樹との対戦は、序盤は取り合い。片山は1アップで迎えた8ホール目から加速する。そこから4ホールで3つ取り、4アップとしし、15ホール目で4-3の大勝となった。スポーツニッポン紙によると、片山は「6バーディー、こんな気持ちいいプレーができたのはいつ以来だろう」と満足していた。加瀬は「パー5で全部2オンされて3つ落としちゃね」と話している。
前年が3位の藤田寛之が久保谷健一をこれも大差の4-3で勝ちあがった。1ホール目のパー5でイーグルを奪ってから3連続アップで主導権を握った。その後取ったり取られたりだったが、中盤4アップとして15番で決着した。日刊スポーツによると、大会は冠スポンサーが撤退し、存続の危機にあることを知る藤田は「シード選手になる前はこの大会に出るのが夢だった。マッチプレーはゴルフの原点。ぜひ存続してほしい」と訴えた。
第2日は2回戦(18ホール)。前年王者ディーン・ウィルソンと対戦した初出場の近藤智弘が会心の試合を見せた。ウィルソンに8ホール目まで3ダウンの劣勢。9ホール目、1.5メートルのバーディーを決めて取り戻してからムードを変える。11ホール目で取り返されたが、12ホール目で相手のボギー、13ホール目で3メートル、14ホール目で2メートルを入れる連続バーディーでイーブンに戻した。16ホール目で2メートルを入れて逆転、そのまま1アップで逃げ切った。8強進出に「(3ダウンは)攻めるしかないと開き直った。マッチプレーは1ホールごとに気持ちの切り替えができる。勝てると思っていなかったので自信になります」(日刊スポーツ紙)と振り返っている。
宮瀬博文が前年賞金王の伊沢利光を5-4の圧勝で下した。スタートから3連続アップの宮瀬に対して、伊沢はドライバーの不調で相手を乗せてしまった。5ホール目パー5では伊沢が1メートルに2オンしたが、宮瀬も7メートルに2オンしてこれを決めてイーグルで分けたのが大きかった。「うれしい。何しろ、開いたが伊沢さんですから」と宮瀬は金星を喜んだ。
第3日は3回戦&準決勝(各18ホール)の長丁場。近藤の勢いが止まらない。ベテラン室田淳との3回戦では、前半2ダウンから盛り返し、14ホール目のパー5でイーグルで1アップとし、16ホール目でバーディーを奪ってそのまま2-1で勝った。準決勝の相手は片山。1ホール目でダウンとまた追いかける展開になる。そのまま取ったり取られたりで1ダウンで15ホール目のバーディーでイーブンに。16、17ホール目は取り合って勝負は18ホール目に。左の林に打ち込んだが、大きくフックをかけた第2打がピン上3メートルにつき、片山に「あれが出たらしようがない。相当いい試合だったじゃない。悔しい」と言わせた。これを決めて1アップでの勝利になった。近藤は「思い切ってやりたいタイプなので、マッチプレーの方が楽」といい、メジャーの場で初優勝出来たら最高ですよね」と話している。25歳2カ月の近藤は、優勝すると丸山茂樹の27歳11カ月を更新する大会最年少優勝になる。
決勝に進んだもう1人は佐藤信人。3回戦でデービッド・スメイルを18ホール目に相手のミスで1アップと辛勝。準決勝では宮瀬と対戦は激戦になった。佐藤は5ホール目から3連続アップで流れをつかんだかに見えたが、宮瀬も8ホール目から反撃し、13ホール目でイーブンに戻した。18ホールで決着がつかず、エキストラの19ホール目に突入。林に入れた宮瀬が第2打で出すだけだったのに対して、佐藤は第2打をピン上1メートルにつけて勝負あり。ボギーとした宮瀬がギブアップした。日刊スポーツによると、佐藤は「相手を見てしまうマッチプレーは苦手」といい「(決勝進出は)信じられない。相手は誰でもやるべきことをやるだけ」と話している。佐藤は勝てば、日本プロ、日本ツアー選手権に続く日本タイトル3冠目となる。
佐藤と近藤の決勝(36ホール)。1ホール目、佐藤は右の林に打ち込んでボギーとし、近藤がこの大会初めて先手を取った。6,8ホール目で佐藤が取って逆転したが、近藤も13、14ホール目を取って再逆転。17、18ホール目を取った佐藤の1アップで午前を折り返した。午後、近藤のショットが乱れ、3ホール連続で佐藤が取って、流れをつかんだ。佐藤5アップから近藤が26、28ホール目を取って反撃するが、29、32ホール目を取った佐藤が悠々と逃げ切り。5-4で日本タイトル3冠目を手中にした。
近藤は「後半の出だしですね。休みが入って集中力が欠けてしまったのか…」と日刊スポーツ紙に振り返っている。
史上8人目の日本タイトル3冠を達成し、史上最速で獲得賞金が1億1000万円を超えた佐藤は「新境地を開いた感じ。ストローク戦なら最終日に大たたきすると順位が落ちるけど、今日は負けても2位。そんな気楽さがあった」と振り返っている。この年、佐藤は谷口徹に逆転されて賞金ランク2位となった。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
佐藤信人(さとう・のぶひと)1970年3月12日生まれ、千葉県出身。千葉・薬園台高校卒業後、米国に渡り、陸軍士官学校を経てネバダ州立大学へ。1993年に帰国してプロテストに一発合格した。97年JCBクラシック仙台で初優勝。2000年日本プロ優勝。02年に日本ツアー選手権を制している。04年から欧州ツアーに挑戦。05年途中から日本に復帰したが、パッティングの不振や腰痛の悪化もあって、02年日本プロマッチプレーが最後の優勝になった。ツアー通算9勝。