第18回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1992年)
2021.06.21
1992年9月7日付日刊スポーツ
中嶋が尾崎直との決勝制して3度目V
米ツアーから帰国した直後の前年賞金王、尾崎直道が優勝候補筆頭と目されていた。栃木・プレステージCC(7115ヤード、パー72)での第1日、32人が参加して1回戦(18ホール)が行われた。尾崎直は米山剛と対戦した。米山が好スタートを切る。1番パー5で2オンのバーディーから3連続バーディーを奪い、3アップのリードを奪った。「いきなり3ダウンで勝てる気がしなかった。このまま9ダウンを食らうかもしれないという感じだった」と、日刊スポーツ紙が尾崎直の心境を伝える。4番で3.5メートルのバーディーパットを沈めて引き分けに持ち込み、米山の勢いを止めたのが大きかった。5,7,9番で相手のミスなどもあって取り返し、イーブンで折り返した。後半は1つずつ取って終盤へ。17番で尾崎直が1.2メートルのバーディーを決めてついに抜け出し、18番も取って2アップで勝利した。「グリーンはスムーズで米国よりやりやすい」と話し「試合をやって少しでも体を慣らしたい」と話している。米山は「さすが賞金王の貫録ですね」と脱帽した。
もう1人の優勝候補、中嶋常幸(当時登録名中島)も奥田靖己に先にアップを許す苦しい展開だったが、12番で初めてリードを奪い、16、17番連続バーディーとして3-1で勝ちあがった。初出場の西川哲が、1アップで倉本昌弘を下す殊勲の白星を挙げた。前年覇者の東聡が藤木三郎に敗れて早々に姿を消した。
第2日は2回戦、3回戦(準々決勝、各18ホール)が行われた。初出場の板井栄一が2回戦で藤木三郎を破る波乱を演出。おしゃべりではプロ界トップクラスの板井だが、ストロークプレーで一緒回ると分の悪い藤木に対してだんまりを決め込んだ。「策を使うならもっとしゃべる」(東京中日スポーツ)と真剣勝負で3-2で下した。
準々決勝でその板井の相手は、2回戦で須貝昇を2アップで下した中嶋。板井は序盤先行されたが、8番のバーディーで逆転。11番も取って優位に進めた。しかし、中嶋は12番で並び、15番で1メートルにつけて突き放す展開。18番ではパーに終わってほぼ負けが決まっている板井に、1メートル弱のバーディーパットのOKがでなかった中嶋は苦笑いして沈め、2アップで4強入りした。中嶋は「(2アップされて)正直、やばいなと思った」といい「明日は負けるなんて考えない」と話した。
尾崎直は2回戦で加瀬秀樹を4-2で圧倒。準々決勝では横島由一と激戦になった。1,3番ではともにバーディーで分けたが、7番で横島に2アップとリードされる展開になった。そこから持ち前の粘りを発揮。15番で追いつき、最終18番へ。第2打で池越えに狙って、きわどいショットがギリギリで越え、寄せてバーディーを奪い、アプローチをミスした横島を1アップで下した。日刊スポーツによると、左足小指に靴ずれができて痛みをこらえての36ホールだったという。時差ボケに暑さもあって「頭がガンガンする」といいながらも「靴ずれでも優勝したことがあるしね」と話している。
室田淳が初の4強進出。腰痛もあってウエアをこの日までの分しか持ってきておらず「うーん、計算外」と、急きょ自宅にウエアを取りに戻った。もう1人の4強は鈴木弘一。湯原信光、牧野裕の日大出身勢を撃破した。「(準決勝の)中嶋選手とでは95%負けだけど、昨年は東選手が中嶋選手をやっつけた例もある。5%に賭けたい」と、東京中日スポーツは意気込みを伝える。
第3日は準決勝(36ホール)。2試合とも一方的な試合になった。
尾崎直―室田は、9番パー5で「2アップされて、相手が波に乗りそうだったので2オンを狙った」という室田が池に入れて尾崎直にアップを許し、そこから尾崎直がチャンスを確実にものにしてアップを重ねる展開に。30ホール目で室田がギブアップして8―6の大差で決勝に進んだ。尾崎直は「どこが痛いとかいってられない。今日は楽だった」と話した。
中嶋―鈴木は、序盤中嶋が6番までに3アップして優位に。16番からは6連続バーディーを奪って試合を決め、29ホール目で8-7の勝利。「おれが相手なら、いい加減にしてくれというとこだね」と、余裕の決勝進出になった。
決勝を前に、日刊スポーツ紙は2人の言葉を伝える。尾崎直は「俺はマムシと言われるけど、中島さんの方がマムシだよ。テレビで見ていると、間合いの取り方とか、マッチ巧者だね。飛距離も出る。自分の方が落ちるね」といい、中嶋は「直道は賞金王になった男。2,3回戦あたりから2人の対決ムードだったし、いい試合をしたい」と話している。
最終日の決勝(36ホール)は、序盤取り合った後、6番で尾崎直が1アップする。9、10番のパー5でともにバーディーの分けと、決勝戦にふさわしい白熱した展開になった。11、12番で中嶋がともに3メートルのバーディーを決めて逆転、1アップのリードになった。14、18番でもとって、前半を中嶋の3アップで折り返した。後半、21、22ホール目で尾崎直のミスがあって、中嶋が一気に5アップとリードを広げた。
そこから尾崎直も意地を見せる。28ホール目で1つ返し、32ホール目の中嶋のアップドーミーホールをしのぎ、33ホール目の15番、続く16番で取り返した。あっという間に中嶋のリードは2アップになり、勝負は分からなくなった。しかし、尾崎直の反撃もそこまで。中嶋アップドーミーホールの35ホール目の17番、チップインを狙った尾崎直のアプローチが外れてギブアップ。中嶋が3-1でこの大会6年ぶり、3度目の優勝を果たした。
後半はバーディーなしだったが、勝負どころを外さずにリードを保っての勝利。日刊スポーツ紙によると、中嶋は「最後は恥ずかしくなったよ。強い者同士が当たると、お互いにミスもないが、思うようなゴルフができなくなるものだ」と漏らし、「いくつダウンしてもあきらめないつもりだったし、直道君もそうだと思う。5アップしても油断はしなかった」と振り返っている。尾崎直は「へとへとだよ」と、6時間25分の激闘に疲れ切った表情だった。
中嶋はこれで日本タイトル11勝目となった。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
中嶋常幸(なかじま・つねゆき)1954(昭和29)年10月20日生まれ群馬県出身。父・巌氏の英才教育で腕を上げ、1973年の日本アマを当時大会史上最年少の18歳で制する。プロ入り後もすぐに頭角を現し、77年に22歳で日本プロ優勝。82年に初の賞金王、83年には年間最多記録の8勝をマーク。85年には史上初の年間1億円プレーヤーとなるなどツアー48勝。 海外メジャーでも活躍、86年全英オープン最終日最終組で回る(最終8位)など、全米プロ3位はじめ、メジャー4大会すべてで10位以内に入っている。シニアでも2005年日本シニアオープン、06年日本プロシニアを制し、日本プロ、日本オープン、日本シリーズ、日本プロマッチプレーの6冠に加え、日本アマも含めて「日本タイトル7冠」の偉業を達成。17年にスポーツ功労者文部科学大臣顕彰、18年に日本プロゴルフ殿堂入り。