第9回日本オープンゴルフ選手権(1936年)
2022.05.16
優勝した宮本留吉のアイアンショット(ゴルフドム1936年12月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)
混戦を制して宮本留吉が5度目の優勝
兵庫県川西市に位置する鳴尾ゴルフ倶楽部は創立100年を超える、我が国でも有数の歴史を誇る倶楽部である。現在の場所に移転したのは1930(昭和5)年。猪名川コースと呼ばれるこの場所で初めて日本オープンが行われたのは1936(昭和11)年のことだった。距離は6704ヤードでパーは70とゴルフ誌のゴルフドムに記されている。鳴尾の資料によれば開場時の距離は6500ヤード台。その後、改造によって距離が伸びている。
参加選手はプロ46人、アマチュア28人の計74人。アマチュア選手の中には猪名川コースをデザインしたクレーン3兄弟の長兄、H・C・クレーンの名もあった。
10月28日の初日、飛び出したのは前年覇者で通算5度目の優勝を狙う宮本留吉だった。6バーディー、4ボギーの68はゴルフドムによると「改造後の猪名川コースに於けるプロのコースレコード」とのことである。2位は安田幸吉、石井治作、藤井武人の71。当時34歳、前の月には日本プロで4度目の優勝を果たすなど、脂の乗った宮本がアドバンテージを握った。
2日目、宮本はインで41と乱れてこの日のスコアは76。通算4オーバーの144としたが、首位は守った。1打差の2位に迫ってきたのは2日目70にまとめた陳清水。2年前の関東プロで初優勝を飾り、この年の春にはマスターズに初めて出場して20位に入った伸び盛りの26歳である。2打差の3位には浅見緑蔵がつけた。
予選カットラインがこの年から変更になった。前年までは首位から19ストローク以内だったのが、40位タイまでと改められている。参加選手が増えて力量も接近してきたため19ストローク以内であれば予選通過者は増えすぎて最終日に36ホールを完了できない恐れが出てきた、という理由だった。
最終日は秋晴れ。ただ。前夜の雨で7、8番ホールのフェアウエーには水が溜まり、選手を苦しめたようだ。
第3ラウンドで宮本は15番のパー3でOBを出すなど76を叩いた。陳も75と苦戦。両者が10オーバーの220で並んだ。しかし、首位は別の選手だった。70で回り、通算218とした中村兼吉だ。宮本と陳は2位、浅見はさらに1打差の221で4位という位置で最終ラウンドに入っていった。
3年ぶり2度目の優勝が見えていた中村は最終ラウンド前半で40と崩れた。36で回った陳が首位に立ち、宮本が1打差、中村と石井治作が2打差で追う形となった。
インに入って陳は一時リードを3打に広げるが、宮本が13、14番の連続バーディーなどで再び1打差に迫った。 ちなみに、現在ならば首位で最終日を迎えた宮本と2位の陳は同じ組でプレーしているところだが、このころの組み合わせはスコア順ではなかった。宮本は、陳の前の組で回っている。
宮本と陳の一騎打ちの様相を呈してきた勝負は420ヤードのパー4、16番に入った。先を行く宮本がパーで収めたのに対して陳は2打目を左に曲げてボギー。ついに両者が並んだ。
17番はともにボギー。そして470ヤードと距離のある18番パー4を迎えた。まず、宮本が2オン2パットのパーにまとめ、通算13オーバーの293で72ホールを終えた。4番ウッドを手にした陳の2打目は左へ飛び、グリーン奥にある1番ティーイングエリアとの間まで行ってしまった。ここから3m弱にまで寄せたが、パーパットを左に外して万事休す。宮本の5度目の日本オープン制覇が決まった。
(文責・宮井善一)
プロフィル
宮本留吉(みやもと・とめきち)1902(明治35)年9月25日~1985(昭和60)年12月13日 兵庫県出身。小学生のころに神戸GC(兵庫県)でキャディーとして働きながらゴルフを覚えた。1925年に茨木CC(大阪府)でプロとなる。日本プロは第1回大会を含めて通算4勝、日本オープンは大会最多の6勝を挙げている。また、海外遠征の先駆者として道を拓き、32年の全英オープンで日本人選手初のメジャー出場を果たしている。2012年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第9回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 宮本 留吉(茨木) | 293 | = 68 76 76 73 |
2 | 陳 清水(武蔵野) | 294 | = 75 70 75 74 |
3 T | 中村 兼吉(藤沢) 石井 治作(広野) |
295 | = 74 74 70 77 = 71 77 74 73 |
5 | 浅見 緑蔵(程ヶ谷) | 299 | = 75 71 75 78 |
6 | 戸田 藤一郎(広野) | 300 | = 73 78 75 74 |
7 T | 安田 幸吉(東京) 小池 国喜代(霞ヶ関) |
301 | = 71 78 75 77 = 82 69 76 74 |
9 | 森岡 二郎(鳴尾) | 303 | = 76 73 81 73 |
10 T | 村木 章(宝塚) 寺本 金一(岡山) |
304 | = 74 76 76 78 = 76 76 77 75 |
参加者数 74名(アマ28名)