第6回日本オープンゴルフ選手権(1932年)
2022.03.28
ゴルフドム1932年11月号(日本ゴルフ協会所蔵)
宮本が大逆転で3度目の日本一に輝く
10月8、9日に1日36ホール計72ホールで行われた。舞台は現在の茨木CC東C。当時は茨木コース、茨木リンクスなどとも表記されている。ゴルフドム誌11月号に詳細が掲載されている。「茨木コースはアリソン氏と加賀正太郎氏自身の考案に基づき巨費を投じて昨年来改造されつつあったが見事に完成してこの大会を迎へ、日本ゴルフの第一人者を選ぶにふさわしいファインテイストを提供した」(以下一部抜粋、現代語)とある。
新聞も大会の記事を大きく掲載するようになってきた。10月9日付大阪朝日新聞による第1日の様子では「雨に禍されて 好スコア無し」という見出しで「競技開始前から小雨が降ったりやんだりしてせっかくのベストコンディションのコースは湿気を多分に含んだため、ボールがスリップして」「グリーンが短く刈られていたのでアプローチとパットに狂い多く」と書かれている。
午前は、前年覇者の浅見緑蔵と村木章が73で首位に立った。安田幸吉と台湾の林萬福が74で続いた。午後はアマチュアの鍋島直泰が73でベストスコアをマーク。安田が74、村木が75で回り、第1日は安田と村木が148で首位に並んだ。「村木が衆人の予想以上に活躍して第1位に入選するのは偉をするに足る、また安田は毎回惜しくも優勝を逸していたもので、その健闘ぶりは賞すべきだ」(大阪朝日新聞)とある。
ゴルフドム誌は「昨年は浅見が137という破天荒なスコアを出しアマチュアは全部ふるい落とされたことはまだ記憶に新しいところであるが、148は167以上に可能ならしめる(首位と20打差以内が最終日進出)こととなり、アマチュアは158の鍋島氏のほか、赤星四郎氏155、成宮(喜兵衛)氏163で二日目プレーする資格を得た」と記している。
最終日(2日目)、秋晴れになった。午前は村木が好調を維持して74で回って222で単独首位に立った。安田は76で2打差の2位。過去2度優勝の宮本留吉が75で6打差4位に浮上していたが、観衆も関係者も村木と安田の一騎打ちと見ていた。
午後、上位2人に陰りが見えた。村木は4番でバンカーに入れてダブルボギーにするなどアウト41と崩れた。安田も7番でOBを出すなど42をたたいた。ここで猛然と追いかけたのが宮本だった。5番までに3つスコアを伸ばした。その後3ボギーでアウト36だったが、村木に1打差、安田には1打リードする2位に浮上した。
インに入って村木、安田とも復調をみせる。村木は13番までに3バーディー、安田も2バーディーで盛り返した。2人の競り合いは最後まで続き、村木は最終18番で3パットして77となり、合計299、安田は同じく77で301と2打差でホールアウトした。
宮本は2人より後でスタートした。15番まで1つ伸ばしていた。ゴルフドム誌の宮本の感想にはこうある。「16番のティーであとのホールを3、4、5で行けば勝てると言われたので、一つその通りにやらねばならぬと勇気が出てきました」。
パーの設定は書かれていないが、詳細を読んでわかるのは16、17番パー4、18番パー5だった。16番で8メートルを入れて、その通りのバーディー3を取る。17番、ティーショットを左に引っ掛けてマウンドの斜面に止まった。きつい左足下がりに「金(アイアン)で打てないことはありませんが低い球しかでないことは分かり切っていました。低い方のグリーン(手前のサブグリーン)を狙ってスプーンを出しました。このスプーンは特別にフェースの広いもので、ダウンブローにひっぱたいたんです」。ボールはサブグリーンを越え、グリーン左のこぶの近くに止まり、そのからのアプローチを2ヤード(約1.8メートル)に寄せたが、カップに蹴られてボギー5。勝つには18番でバーディーが必要になった。ティーショットを右バンカーに入れたが、3番アイアンでピンまで残り100ヤードまで持ってきた。第3打を2ヤードにつけて劇的なバーディー4。午後は70(36、34)で計298。村木を1打逆転して、2年ぶりの大会3度目の優勝を果たした。東京日日新聞には「宮本俄然奮起 遂に覇者の栄え」という見出しが躍る。
ゴルフドム誌での優勝後の感想。「木(ウッド)が荒れるので今年はとても駄目と思っていました。2日目の午後は、60台か90かという決心で出かけました。浅見も安田も私も今年は当たらなかったので村木には非常にいいチャンスでしたが、私がラッキーだったのでしょう。思いがけぬ当たりが最後に出たのは全く不思議なほどです。すべてが私にラッキーであったように思われます」。
大阪朝日新聞では最後に7位に入ったアマチュアの鍋島を「万丈の気を吐いていた鍋島は午前十六、十七、十八でミスしたのがスコアを大きくしたが、そのプレーは激賞に足るものがあった」と称賛している。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
宮本留吉(みやもと・とめきち)1902(明治35)年9月25日~1985(昭和60)年12月13日 兵庫県出身。小学生のころに神戸GC(兵庫県)でキャディーとして働きながらゴルフを覚えた。1925年に茨木CC(大阪府)でプロとなる。日本プロは第1回大会を含めて通算4勝、日本オープンは大会最多の6勝を挙げている。また、海外遠征の先駆者として道を拓き、32年の全英オープンで日本人選手初のメジャー出場を果たしている。2012年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第6回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 宮本 留吉(茨木) | 298 | = 78 75 75 70 |
2 | 村木 章(宝塚) | 299 | = 73 75 74 77 |
3 | 安田 幸吉(東京) | 301 | = 74 74 76 77 |
4 T | 浅見 緑蔵(程ヶ谷) 小池 国喜代(霞ヶ関) |
302 | = 73 78 81 70 = 81 73 73 75 |
6 | 陳 清水(武蔵野) | 307 | = 77 78 74 78 |
7 T | 鍋島 直泰(東京) 林 萬福(台湾) 石角 武夫(鳴尾) |
309 | = 77 73 82 77 = 74 75 79 81 = 84 74 71 80 |
10 | 中村 兼吉(藤沢) | 310 | = 76 76 79 79 |
参加者数 54名(アマ25名)