第49回日本オープンゴルフ選手権(1984年)
2024.01.15
優勝トロフィーを掲げる上原宏一(JGAホームページより転載)
空振り2回で鈴木弘一が大魚を逃し、上原宏一に栄冠
時に思ってもみなかったことが起こるのがゴルフである。そんな出来事が続発したのが1984(昭和59)年、埼玉県の嵐山カントリークラブ(6405m、パー72)開催の大会だった。初日、想定外の裏ルート開拓で競技委員会を慌てさせたのが47歳の杉原輝雄だった。右ドッグレッグの15番パー5、杉原はティーショットを林越えで右隣の14番フェアウエーを狙った。14番を経由すれば近道になり自分の飛距離でも2オンできる。そう判断して勝負をかけたのだ。
ティーショットは見事に14番フェアウエーを捕え、ここから2オンに成功してイーグル奪取。これが効いて1アンダー、71で回り3打差4位と好発進した。
競技委員会は意図的に隣のホールに打つ選手が続出すれば危険であり進行にも支障を及ぼすとして2日目から15番ティーの位置を変更。林越えを狙いにくくして“杉原ルート”を封じ込めた。
2日目もまさかの波乱が起こった。初日4アンダー、68で単独首位に立っていた鈴木規夫が予選落ちを喫したのだ。12番までバーディーなしの3ボギーと苦戦していた鈴木規の13番パー4の第1打はカート道で跳ねてどんどん転がり、OBになってしまった。このホールはトリプルボギー。これで気落ちしたのか、その後もスコアを崩して83。カットラインに3打及ばない通算7オーバーにまで転落してしまった。日本オープンでは初日首位タイの選手の予選落ちは過去2例あったが、単独首位からは初めてだった。
この日は15歳の高校1年生、手嶋多一が大会史上最年少で予選を通過するという快挙もあった。
2日目を終えて首位は通算5アンダーの藤木三郎と上原宏一。2打差3位に杉原と入江勉がつけた。
3日目は上原が抜け出した。5バーディー、3ボギーの70にまとめ、通算7アンダー。藤木や杉原ら上位陣が崩れ、2位に上がってきた高橋勝成と青木基正に5打差をつける独走となった。
最終日、上原に重圧がのしかかる。10番までにボギーが4個。首位から転落した。
代わって首位に立ったのが6打差4位にいた鈴木弘一だ。7番から4連続バーディーを奪うなど、一時は6アンダーまで伸ばして初優勝に近づいていた。
だが、13番で鈴木弘に悪夢が襲いかかる。グリーンを少し外したラフからの3打目、「バサッ」という音だけが響いてボールが出てこない。近いピンに寄せようとした結果、クラブヘッドがボールの下をくぐってしまったのだ。
次のショットも同じことが起こった。ようやく5打目で乗せて2パット。大魚を逃した鈴木弘は「芝に負けました」(スポーツニッポン紙より)と肩を落とした。
そのころ、上原は12番で待望の初バーディーを決めていた。13番以降は確実にグリーンに乗せてパーを重ね、18番で締めくくりのバーディー。通算5アンダー、鈴木弘に2打差をつけて日本オープン初優勝を成し遂げた。
首位を奪い返していたことは16番まで知らなかったという。「ダメだと思って開き直っていたからよかったんです」(スポーツニッポン紙より)と上原。5年前にプレーオフで逃したタイトルをしっかりとつかんだ。
(文責・宮井善一)
プロフィル
上原宏一(うえはら・こういち)1947(昭和22)年11月25日生まれ、静岡県出身。ゴルフどころの伊東市で生まれ育ち、高校時代にゴルフを始める。東海大学を中退してプロを目指し1970年にプロテスト合格。ツアー競技は通算7勝。20代半ばから北海道を拠点にし、北海道オープンでは大会最多の8勝(うちツアー競技としては5勝)を挙げている。
第49回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 上原 宏一(札幌グリーンヒル) | 283 | = 71 68 70 74 |
2 | 鈴木 弘一(美野原) | 285 | = 72 74 69 70 |
3T | 藤木 三郎(フリー) 草壁 政治(紫) 磯崎 功(都留) |
287 | = 72 67 76 72 = 72 71 73 71 = 72 73 70 72 |
6T | 新井 規矩雄(アデランス) 高橋 勝成(霞台) |
288 | = 71 72 74 71 = 75 68 71 74 |
8T | 中島 常幸(美津濃) 青木 基正(マルマン) |
289 | = 75 69 71 74 = 69 74 71 75 |
10T | 船渡川 育宏(南部富士) 小林 富士夫(真名) 豊田 明夫(フリー) |
290 | = 74 69 75 72 = 71 75 73 71 = 72 73 74 71 |
参加者数 148名(アマ22名)