第25回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1999年)
2021.10.04
優勝トロフィーを掲げる小山内(提供JGTO)
飛ばし屋・小山内護が圧巻の初出場V
「ホームランは野球の花」と言われるように、プロスポーツにおいてはるか遠くへ飛ばせる能力は勝敗やスコアを超越したところでファンを魅了する。ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平が野球の本場を熱狂させるのは、まさにそういう要素があるからだ。ゴルフ界も同じこと。ジャンボこと尾崎将司があれほどの人気を博したのは他を圧倒する飛距離があったから。若き日のタイガー・ウッズもまた然りである。
2000年前後にツアー屈指の飛ばし屋として名を馳せたのが小山内護だ。師匠のジャンボをしのぐほどの破壊的な飛距離を叩き出し、1999年に計測が始まったドライビングディスタンスでは2000、04、05、06年と4度1位に輝いた。04年にマークした306.82ヤードは当時の歴代最高記録であり、2016年にチャン・キムに抜かれるまで長く“王座”に君臨するほどの大記録だった。
その小山内が初めて日本プロマッチプレーに出場したのが1999(平成11)年のことである。前年のサントリーオープンでジャンボを2位に従えて初優勝。賞金ランキング26位に入ってつかんだ出場権だった。
会場は例年通り北海道のニドムクラシックCニスパC(6941ヤード、パー72)。9月2日の初日は32人のトッププロが18ホールマッチの1回戦に臨んだ。
2年前の覇者で初出場から5年連続でベスト4に入っているマッチプレー巧者の丸山茂樹は金鍾徳を4-3で一蹴。貫録を示した。5月の日本プロに続く日本タイトル連勝を目指す尾崎直道、夏場に連勝して勢いに乗る伊沢利光らも勝ち上がった。小山内は5月のフジサンケイクラシックでツアー初勝利を挙げた桧垣繁正と対戦。一度もリードを奪われることなく4-3で快勝した。
2日目は18ホールの2回戦8マッチが行われた。前年までは2日目に2回戦と準々決勝、3日目に36ホールの準決勝というスケジュールだったが、この年から2日目は2回戦のみを行い、3日目にそれぞれ18ホールの準々決勝、準決勝という形に変更された。
丸山は尾崎健夫を下して6年連続で準々決勝進出。初出場の今野康晴は13番でホールインワンを決めるなどして伊沢を4-3で破った。
小山内の相手はコロンビア出身のエドアルド・エレラ。ツアー5勝の強豪である。序盤、エレラに1、3、5番をバーディーで取られ、いきなり3ダウンを喫してしまった。だが、ここから猛反撃して接戦に持ち込むと、マッチイーブンで迎えた18番をパーでモノにして難敵を退けた。
小山内は3日目の準々決勝で今野との初出場同士の対戦。ここを3-2で勝ち上がると、続く準決勝は42歳のベテラン・渡辺司を接戦の末に1アップで下し「また勝っちゃいました。生まれて初めてのマッチプレーなのに」(日刊スポーツより)と決勝進出に言葉が弾んだ。
準々決勝では丸山がデービッド・イシイに敗れて初めてベスト4を逃す。丸山に勝ったイシイを準決勝で撃破したのが2度目の出場となった谷口徹だ。小山内より3学年上の31歳。後の賞金王だが、この時はまだツアー1勝の伏兵だった。飛ばし屋の小山内に対して谷口は正確性とパッティングが持ち味。対照的な2人の決勝となった。
36ホールの決勝戦。先手を奪ったのは谷口だった。力んだのか小山内は1番の第1打をいきなりOB。2番も小山内がボギーとして谷口が早くも2アップとした。
だが、「自分の武器はティーショット。フェアウエーど真ん中に飛ばしておけば相手を威圧できる」(日刊スポーツより)とパワーを生かした豪快なゴルフで反撃に転じ、4番から4連続アップであっさり逆転。14番からは3連続バーディーを含む4連続アップで差を広げる一方となった。
小山内の5アップで折り返した後半は谷口が少し反撃するが、小山内優位は動かない。小山内のアップドーミーで迎えた33ホール目の15番パー5、2オンを狙った谷口のショットは左に曲がってOB。4-3で小山内がビッグタイトルをつかみ取った。
初出場での優勝は1991年の東聡以来で、第1回大会を含めて大会史上5人目。優勝賞金3000万円と5年間の長期シードを手にした。
(文責・宮井善一)
プロフィル
小山内護(おさない・まもる)1970年6月19日生まれ。東京都出身。日体荏原高校卒業後、96年に4度目の挑戦でプロテストに合格。98年のサントリーオープンでツアー初優勝を飾った。ツアー通算4勝。妹の優代もプロゴルファー。