第21回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1995年)
2021.08.02
決勝の通算25ホール目でチップインバーディーを決めた友利勝良(週刊アサヒゴルフ1995年9月26日号より)
全英の経験を生かして友利が大会初優勝
英国スコットランドのセントアンドリュースはゴルフの聖地とも表現される場所である。全英オープン開催数は最多の29回。来年(2022年)は同所で30回目そして全英オープンとしては150回目の大会が控えている。1995(平成7)年、このセントアンドリュースで行われた全英オープンで日本選手が躍動した。友利勝良である。2日目に68をマークして通算6アンダーとした友利がジョン・デーリー、ブラッド・ファクソンと共に首位に並んだのだ。3日目以降は苦戦して24位に終わったが一躍時の人となった。
その友利が同じ年の日本プロマッチプレーでも輝いた。会場は前年と同じ北海道のニドムクラシックCニスパC(6941ヤード、パー72)。8月31日、32選手による1回戦がスタートした。
友利のキャディーを務めたのは知人で音楽プロデューサーのヘンリー広瀬さん。夫人で歌手の高橋真梨子さんも応援に来ていた。大会前、食事の席で友利が広瀬さんにキャディーを依頼した時の口説き文句が「18ホールで終わりますから」。ところがその言葉に反して広瀬さんは115ホールもバッグを担ぐことになってしまった。
井戸木鴻樹と対した1回戦は1、2番ホールを連取して主導権を握り、5-3で圧倒した。全英オープンから帰国した直後は体調を崩してトーナメントを欠場するなどしていたが、その不安はもうなくなっていた。
2回戦と準々決勝が行われた2日目、友利は中嶋常幸、倉本昌弘という永久シード選手をともに2-1で連破。中嶋は「桃色吐息に“フッ!”とやられちゃった」(週刊アサヒゴルフより)と高橋さんのヒット曲を絡めたジョークを口にして悔しさを隠した。
36ホールマッチの準決勝の組み合わせは友利-鈴木亨、加瀬秀樹-丸山茂樹となった。友利の相手、鈴木はプロゴルファーの夫人・京子さんをキャディーに起用していた。鈴木の希望で家庭に入っていた愛妻を引っ張り出した形だった。前年生まれたばかりの長女・愛理さんを実家に預け、京子さんの好アシストでここまで勝ち上がっていた。
プロゴルファーコンビを相手にしても全英オープンで最終組を経験した友利のゴルフは揺るがなかった。前半だけで7個のバーディーを奪って3アップ。後半も出だしから3ホール連取してリードを広げ、6-5で鈴木を撃破した。鈴木は「友利さんは、いつも優しい表情を浮かべていますが、優しい仮面をかぶった鬼のような人。上手すぎですよ」(週刊アサヒゴルフより)と脱帽するしかなかった。
加瀬と丸山の一戦は25歳、売り出し中の丸山が大激戦の末に36ホール目で加瀬を突き離して1アップで決勝に進んだ。丸山はこのころから米ツアー挑戦を公言しており、そのためにも5年の長期シードが与えられるこの大会の勝利は何としても欲しいところ。「毎ホール、毎ホール“勝ってメジャーに行くんだ、アメリカに行くんだ”という気持ちで戦います」(週刊アサヒゴルフより)と決勝への意気込みを口にした。
9月3日の決勝、友利は1番から3連続バーディーという強烈な先制パンチを繰り出した。4、5番では丸山が取り返す。前半はその後、両者同スコアが続き、友利の1アップで折り返した。
後半、友利が19ホール目、22ホール目を奪って3アップ。そして25ホール目の7番パー4でチップインバーディーを決め、この日最大4アップにまでリードを広げた。3打目の直前には広瀬さんと高橋さんが在籍していたペドロ&カプリシャスの『五番街のマリーへ』を口ずさんでいたという。
その後、丸山の反撃で「1差」まで詰め寄られるが、35ホール目で決めれば優勝の1m強のパーパットを沈め、ポーカーフェイスに満面の笑みが広がった。
この優勝は全英オープンでの経験が礎になっていた。「世界のトップと回って、すごい選手でもミスをすることが分かった。だから、自分もミスをしたって大丈夫。安心してプレーできるようになった」(日刊スポーツより)。ゴルフの聖地を沸かせた40歳の友利がその6週間後に初めて日本と名のつくビッグタイトルをつかんだ。
プロフィル
友利勝良(ともり・かつよし)1954(昭和29)年10月25日生まれ沖縄県出身。1983年にプロ入り。87年の九州オープンで初優勝を飾る。88年、第一不動産カップ(賞金ランキング対象外競技)でハーフ27の“日本記録”をマークして話題に。レギュラーツアー通算7勝、シニアツアー通算2勝。