第20回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1994年)
2021.07.19
1994年9月5日付スポーツニッポン紙
ハミルトンが決勝史上最短Vで日本タイトル獲得
戦いの舞台は、北海道・ニドムクラシックCニスパC(6989ヤード、パー72)に移された。林でセパレートされた平坦なコース、飛距離のある選手が有利とみられた。優勝候補は前年初の賞金王となった飯合肇、優勝経験者の尾崎直道らの名前が挙がっていた。第1日は1回戦(18ホール)が行われた。前年優勝の山本善隆に若手の西川哲が挑戦した。13番まで一進一退の攻防でイーブン。15番で抜け出した西川は、17番でバーディーを奪って2-1で殊勲の星を挙げた。「内容がよかった。山本さんのしぶとさ、うまさを十分痛感しました」と日刊スポーツ紙に振り返っている。
初出場の丸山茂樹―宮瀬博文の若手対決では、風邪で点滴を打っての出場の丸山が18番で80センチのパーパットを外してエキストラホールにもつれ込んだ。「もうめまいで何も分からなかった」といいながらも、1ホール目の10番、宮瀬のミスで取り、19ホール目で振り切った。
飯合は同じジャンボ軍団の高見和宏に3-1で快勝し「やりづらい相手だったけど賞金王の意地もあるし」と話した。尾崎直は初出場の池内信二に中盤リードを奪われ、池内の1アップで押し切られた。「まさか勝てるなんて」という池内に、尾崎直は「池内君のアプローチは抜群だった」と敗因を挙げた。
第2日は2回戦と準々決勝(各18ホール)。体調不良の丸山だったが、2回戦で飯合を5-4で一蹴すると、気持ちが乗ってきた。準々決勝では池内と終盤まで大激戦を演じた。13番から交互に取り合う。16番で「左足がつった」(サンケイスポーツ紙)という丸山だったが、17番までイーブンの展開。最終18番で池内のミスでパーをセーブした丸山が1アップで初のベスト4進出を決めた。「ショットが安定しているので簡単には負けない気がする」と体調の悪さも吹き飛ばす快進撃になった。
日大の先輩、川岸良兼が2回戦でライン・ギムソン(オーストラリア)を18番で振り切る1アップで勝ち上がってギアを上げた。準々決勝では試合巧者の奥田靖己と対戦。4番で15メートルのパーパットを沈めて分けると、ロングパットが好調で1ダウンの6番から10メートル以上のパットを3発決めるなど6ホール連続で奪って逆転、6-4の大差で初のベスト4に進んだ。「長いのを4発も決められたら戦意喪失。川岸君が良すぎた」と脱帽の奥田に、川岸は「あれだけパットが入れば勝てるでしょう」と笑った。白浜育男、トッド・ハミルトン(米国)が準決勝に勝ち上がった。
第3日の準決勝(36ホール)。丸山―ハミルトンの対戦は、ハミルトンが安定してプレーを展開した。後半、21ホール目から3連続で奪った後は丸山の反撃の機会を与えずそのまま3-2で勝利した。ハミルトンは「勝因は準々決勝まで僕は競った試合が多かったのでプレッシャーにうまく対応できた」と話している。
川岸―白浜は、終始白浜が優位に試合を進めた。川岸はショット、パットとも前日までとは違って噛み合わない。4-3で白浜が決勝に進んだ。白浜は、決勝の9月4日はキャディーを務める長男・浩高君の22歳の誕生日とあって「どうしても勝ってプレゼントにしたい」(サンケイスポーツ紙)と意気込んだ。
最終日の決勝(36ホール)はハミルトンの一方的な展開になった。スタート1番でバーディーを奪って先手を取り、6番までに4アップとリードした。3アップとなった17番からは3連続バーディーのアップで加速。中盤以降はティーショットで2番アイアンを多用するなど、ミスを最小限に抑える作戦で28ホール目の後半10番で8アップとほぼ勝利を決定づけた。29ホール目を分けて8-7の大勝。決勝では最大差の勝利だった。
「今日のハミルトンのプレーは素晴らしかった。付け入るスキがなかったというのが本音です」と、白浜の敗戦の弁をスポーツニッポン紙が伝える。ハミルトンは「ラッキー7だから」と、1949年の50セントなどコイン6枚とグリーンフォークの7点セットをポケットに入れていたという。米ツアーを目標とするハミルトンは日本ツアー3年目で初の日本タイトルを獲得。念願の米ツアーに参戦した2004年、全英オープンを制した。日本で磨いた力でメジャータイトルにたどり着いている。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
トッド・ハミルトン 1965年10月18日生まれ米国イリノイ州出身。オクラホマ州立大卒。1988年ダンロップオープンで日本ツアー初参戦。92年アジアンツアー総合優勝で日本ツアーシード権を獲得し、同年マルマンオープンで初優勝。2003年には年間4勝を挙げて、賞金ランク3位となる。日本ツアー通算11勝で、日本プロマッチプレーには2度優勝(94年、03年)している。03年米ツアーQSを通過。米ツアー1年目の04年全英オープンでアーニー・エルスとのプレーオフ(4ホール通算スコア)を1打差で振り切り、全英オープンを制覇した。