第15回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1989年)
2021.05.10
大会初制覇を果たした尾崎将司(週刊アサヒゴルフ1989年5月30日号)
大会初Vでジャンボが日本タイトル4冠を達成
“マッチの鬼”と呼ばれたのは青木功だ。第8回大会までに4勝を挙げ、圧倒的な存在感を示していた。中嶋常幸は1980(昭和55)年の第6回大会で準優勝のあと、時代が平成になる前に1983(昭和58)年、1986(昭和61)年と2勝していた。
日本プロゴルフ界を牽引してきたAONのうちAとNはマッチプレーでも実力通りの成績を収めていた一方、Oの尾崎将司はどうだったか。昭和最後の大会となった1988(昭和63)年までのマッチプレー通算成績は8勝12敗である。1987(昭和62)年こそ決勝まで進んで高橋勝成と歴史に残る激闘の末の2位だったが、それ以外の年は良くて2回戦止まり。半分以上が1回戦敗退で、「マッチプレーは18ホールで勝負がついてしまうので好きじゃない」と公言していたほどだった。
ところが、元号が平成になった1989(平成1)年は初戦から快進撃を見せる。会場は前年と同じく福島県のグリーンアカデミーGC(7038ヤード、パー72)。第6回大会チャンピオンの安田春雄を相手に3番から3ホール連続バーディーを奪って一気に3アップ。その後も1ホールも落とすことなくリードを広げ、5アンド4で難敵を撃破した。
AとNは欠場。前年覇者のデービッド・イシイ、大会時に賞金ランキング1位だった尾崎直道ら強豪が1回戦で姿を消す波乱の展開となった。
大会2日目は2回戦と準々決勝が行われた。雨で5月にもかかわらず気温が10度に届かないほど冷え込んだ中、ジャンボは熱いプレーを続ける。前年の関東プロ覇者・丸山智弘との2回戦は3番からの3連続アップで主導権を握り4アンド3で一蹴。前年2位の須貝昇と戦った準々決勝でもVTRを見るかのように3番から3連続アップを奪って同じく4アンド3で勝利を収めた。
準決勝に進出したのはジャンボのほか、藤木三郎、牧野裕、湯原信光という日本大学出身の3人。実力者が顔をそろえた。
準決勝からは36ホールの勝負である。ジャンボの相手は湯原。7番で湯原がバーディーを決めて先制する。ジャンボは4試合目にして初めて相手にリードを許した。
しかし、ジャンボは8、9番でバーディーを奪ってあっさり逆転。その後は付け入るスキを与えず、5アンド4で退けた。
日大対決となったもう一方の準決勝は1学年後輩の牧野が藤木の追い上げを辛うじて交わし、36ホール目で決着をつけた。
ジャンボと牧野の対戦は1986(昭和61)年1回戦以来2度目だった。初対戦時は牧野が4アンド3でジャンボを粉砕している。しかし、当時のジャンボは長いスランプからの復活途上。前週のフジサンケイクラシックで2年ぶりのツアー優勝を手にしたばかりだった。その後、ジャンボは1988年に11年ぶりの賞金王に返り咲き、黄金期に差し掛かっていた。初対戦時のジャンボとはまるで違った。
強い北風が吹いた決勝はスタートホールでジャンボがティーショットを左に大きく曲げ、牧野の1アップで始まった。だが、ジャンボはすぐに2、3番で連続バーディーを奪って逆転し、4番も取って2アップとした。3アップで迎えた16番パー4では60ヤードの2打目をカップインさせるイーグルで差を広げる。17、18番も取って前半で6アップと大差をつけた。
後半になって牧野が徐々に巻き返すが余裕のプレーを続けるジャンボの牙城を崩すまでには至らない。2ホールを残し、3アンド2でジャンボの勝利。大会13回目の出場でようやくつかんだ栄冠だった。
これで通算60勝目。日本オープン、日本プロ、日本シリーズに続き日本タイトル4冠も達成した。これは村上隆、青木、中嶋に次ぐ史上4人目の快挙である。 「ショットの安定性、スイングの完成度は100パーセント。昨年3週連続優勝したときより、はるかに調子がいい」(週刊アサヒゴルフより)と自ら充実ぶりを解説するジャンボ。それくらい手応えのあるゴルフでつかんだマッチプレー初制覇だった。
プロフィル
尾崎将司(おざき・まさし)1947(昭和22)年1月24日生まれ徳島県出身。徳島海南高校時代は野球部のエースとして選抜高校野球大会を制し、西鉄ライオンズに入団。実働3年で退団してプロゴルファーを目指し、23歳でプロテストに合格した。前人未到の通算113勝(海外1勝含む)を誇り、賞金王は計12回。ゴルフ人気を高めた立役者である。2010年に世界ゴルフ殿堂入り。