第11回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1985年)
2021.03.02
週刊アサヒゴルフ1985年6月4日号より
高橋勝成が初の日本タイトル
マッチプレーならではの戦いから幕を開けた。水戸GC(6115ヤード、パー72)で行われた大会第1日の1回戦(18ホール)では、尾崎将司、健夫の史上初の兄弟対決が注目を集めた。
勝負はもつれた。1番で健夫がバーディーを決め、2番では将司が1メートルのパーパットを外し、健夫がいきなり2アップする展開で始まった。1つずつ取り合った後、8番で将司が4メートルのバーディーパットを沈めて1つ返す。
日刊スポーツ紙によると、ここまで冗談を言い合っていた2人だが、インに折り返すと「無駄口がなくなった」と記している。11番で将司が50センチにつける好ショットでイーブンに戻した。ここから、互いに譲らず、最終18番パー5(494ヤード)へ。将司の第1打は左ラフ、健夫はフェアウエーに運んで2オン可能なところに置いた。将司は「アイアンではなく、ウッドでぶつけていく方がいい」と判断し、3番ウッドを持った。しかし、ボールは大きく右へいき、痛恨の「サヨナラ」OB。健夫が第2打をグリーン右まで運んだ時点で、将司がギブアップして決着した。「久しぶりのOB。懐かしいもんだね。行ってみれば、我が友だもんな」とジョークを決めた後「今の俺に勝てば健夫の自信につながる」と弟にエール。健夫は続く2回戦(18ホール)で試合巧者、矢部昭を対戦。エキストラの19番で敗れた。「負けるとやっぱり腹が立つんだなあ」と、1日37ホールの戦いで疲れ切った様子だった。
第2日は準々決勝(18ホール)が行われた。対戦は出口栄太郎―矢部、前年覇者・中村通―岩下吉久、高橋勝成―長谷川勝治、尾崎直道―草壁政治となった。
兄2人が姿を消した尾崎直は、サンケイスポーツ紙によると「相手は大先輩だし、いろいろしゃべると気を使わないといけないから」と「だんまり作戦」だった。イーブンで折り返し、11、12番で草壁が取ってリード。1つずつ取り合った後の15番で1メートルにつけた尾崎直が取り返し、そこから3連続アップと一気に逆転した。粘る草壁は最終18番のバーディーで追いついてエキストラホールへ。15番から始まったが互いに譲らず、4ホール目の18番に突入。第3打のアプローチ勝負となったが、草壁は4メートルと寄せきれず、尾崎直が50センチに寄せ、草壁が外した後、尾崎直にOKを出して22ホールで決着した。草壁に敬礼した尾崎直は「明日は29歳の誕生日だし、プレゼントが欲しいもんね」と笑顔を見せた。
矢部は出口を3-2で退け「初戦で負けると思っていたからあとは付録。慌ててシャツを洗濯に出したよ」と笑った。4番から4連続バーディーで岩下を破った中村は「(準決勝の)矢部さんとは試合をした記憶がないなあ。作戦はやりながら考えます」と連覇に意欲を見せた。長谷川を2-1で下した高橋は「今日の暦が二黒赤口だったんで、赤シャツ、黒ズボンできた。科学の勝利」と笑わせた。
第3日は準決勝(36ホール)。連覇を狙う中村は、矢部と取ったり取られたりのシーソーゲームになったが、アクシデントが2人を襲う。午前の10番で中村のドライバーのグリップ部分が曲がって折れてしまった。通常プレーなので交換できたが届いたのは午後3番になってからだった。花粉症の矢部は強く鼻をかんで午前の16番で鼻血が出てしまった。鼻にティシュを詰めて止血したが、このホールをボギーにして午前はイーブンで折り返した。
午後も取り合いが続き、11番までイーブンの熱戦から抜け出したのは矢部。。12、14番でバーディーを奪って2アップで終盤へ。16番パー5(514ヤード)がキーホールになった。矢部は第1打を左に曲げ、第2打もトップして、左ドッグレッグのホールでまだグリーンが見えない。「無理に3オンを狙わない。手前に置けばパーのチャンスがある」と4番ウッド花道へ。寄せて思惑通りパーをセーブ。中村は7メートルのバーディーパットを外して、このホール引き分けた。そのまま矢部が2-1で逃げ切った。
「ドライバーが折れてびっくりしたけど、そのせいではない。今日はミスが多すぎた」と連覇を逃した中村。矢部は「通ちゃんは気の毒だった」と気遣い「決勝は自分のゴルフをするだけ」と話した。
もう1組、尾崎直―高橋は、29歳の誕生日の尾崎直のショットが乱調。逆に好調の高橋は午前の9番でイーグルを奪うなど、午前を終わって5アップの大量リードを奪った。午後に入って、尾崎直が1,3番で取り返して追い上げを開始したが、高橋は8番で2メートルのバーディーで取った後、10、11番連続アップで6アップまで広げ、結局5-4で決勝進出を決めた。
尾崎直は「付け入るスキがなかった。自滅してしまった」と日刊スポーツは伝える。この日も暦の三碧先勝にちなんで青のウエアで臨んだ高橋は「尾崎兄弟の代表として頑張らなくてはというプレッシャーがきつかったんじゃないの。いつもの直道君のゴルフじゃなかった」といい「明日は2人だけの舞台を作ってくれるんだから気持ちがいい。日本タイトルを1つは取ってみたい」と意欲をみせた。
決勝(36ホール)の戦いは、日刊スポーツ紙に全ホールの様子が掲載されている。矢部が4番でバーディーを奪い、6番で高橋のミスでギブアップと、序盤は矢部2アップのリード。高橋が1つ返して、午前を矢部1アップで折り返した。日大時代には「マッチプレーで負けたことがない」という高橋は午後になって反撃を開始した。
2番で矢部が右のがけ下に落としてイーブンになる。5番、左の林に入れて第2打を木に当て、第3打でもグリーンを外した矢部に対し、第2打でグリーンエッジの高橋は寄せてパーをとり、この試合初めてアップする。7,9番でもアップして残り9ホールで3アップと安全圏に入ったかに見えた。今度は矢部が粘る。10番で高橋が右の林に入れ、11番では矢部が2メートルのバーディーを決めて1差となる。31ホール目の13番、矢部は残り153メートルの第2打を6番アイアンで直接放り込むイーグルを奪い、イーブンに戻した。ギャラリーも大いに沸く。
「あのイーグルでかえって気負ったのかもしれない。14番も狙いに行ってしまった」と矢部は試合後に振り返っている。第3打のアプローチが強く入り、ピンを2.5メートルオーバーし、ボギーにした。バンカーから寄せた高橋がパーセーブして再び1アップ。34ホール目16番で矢部のグリーンオーバーし、ボギーとした。高橋のパーパットはフックラインの1.5メートル。「10発打って10発はいらないライン。どうやって打ったか、自分でも分からない」というパーパットがカップの右端から入った。高橋は思わずその場でバンザイ。2アップとして逃げ切り、初の日本タイトルを手中にした。
サンケイスポーツ紙によると、敗れた矢部は「14番が痛かった。でも、初めて36ホールをやってみて、充分やれるという自信がついた」と話している。172センチ、50キロの体で4日間戦い抜いて、笑顔も見せていた。
「矢部さんに申し訳ないような気がして」と切り出した高橋は、この日も暦の四緑を見て緑のウエアにした。2年間未勝利に終わり、この年は心理トレーニングを受けてきた。「いろいろなことをやってきたかいがありました」と振り返った。ファンから胴上げされたシーンが印象的だった。
プロフィル
高橋勝成(たかはし・かつなり) 1950年(昭和25)年8月5日生まれ北海道出身。野球をしていたが、15歳の時に肩を壊してゴルフへ。日大卒業後、1975年にプロ転向。76年韓国オープンで優勝した。レギュラーツアーでは83年北海道オープン、広島オープンに勝って芽を出した。日本プロマッチプレー2勝など通算10勝。2000年にシニア入りし、日本プロシニア、日本シニアオープンの公式戦2冠を獲得。シニアツアー11勝、00年から4年連続賞金王になっている。