日本プロゴルフ殿堂

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日本プロゴルフ選手権

第4回日本プロゴルフ選手権(1929年)

2015.10.05
六実リンクスの風景。右端のパッティングしている選手が宮本留吉(ゴルフドムより) 六実リンクスの風景。右端のパッティングしている選手が宮本留吉(ゴルフドムより)

大会初のパープレーで決めた大差V

 第1回大会から36ホールストロークプレーで行われていた日本プロは1929(昭和4)年の第4回大会から72ホールストロークプレー(2日間競技)へと競技方法を変更した。会場は千葉県の六実リンクス。初の関東開催となった。  六実リンクスは戦時中に閉鎖され、現存しない。東京都内にあった武蔵野CCが会員増加などによって手狭になったために千葉県松戸市に移転してつくった...

第42回日本プロゴルフ選手権(1974年)

2015.09.07
1974年8月19日付スポーツニッポン 1974年8月19日付スポーツニッポン

尾崎が青木の年間グランドスラムを阻止する完全優勝

 「AO対決」が鮮明になった大会になった。前年覇者の青木功はこの年、関東オープン、関東プロを制し、これに勝てば1年で公式戦4つを取る「年間グランドスラム」(当時)に王手をかける戦いだった。これを阻止したのが、尾崎将司だった。  賞金総額1350万円、優勝賞金200万円、宮城・表蔵王国際GC(6832ヤード、パー72)で行われた第1日。トップに立ったのが尾崎だ...

第2回日本プロゴルフ選手権(1927年)

2015.08.03
1927年7月11日付大阪毎日新聞 1927年7月11日付大阪毎日新聞

初代チャンピオンとの激闘を制した中上数一

 元号が昭和となって7カ月余り、1927(昭和2)年7月9日に第2回日本プロが開催された。会場は前回と同じ大阪府の茨木CC(パー69)。第1回大会は茨木、舞子、甲南、鳴尾の関西4倶楽部が主催で大会創設を主導した大阪毎日新聞社が後援という形だったが、第2回大会からは大阪毎日新聞社が主催に立場を変えている。  参加者は前回より2人増えて8人。2年連続出場となる宮...

第36回日本プロゴルフ選手権(1968年)

2015.07.06
1968年9月9日付日刊スポーツ 1968年9月9日付日刊スポーツ

72ホール目の決着、島田幸作が激戦制し初優勝

 24歳、関西期待の新鋭、島田幸作が全国デビューを果たした。  大会は千葉県の習志野CCキングコース(7022ヤード、パー72)で開催された。ラフが20センチ以上伸ばされ、小さいグリーンのコース。ショットの正確性が求められ、大会前から「狭いコースに慣れている関西勢が有利」と見られていた。  第1日、首位に立ったのは小川貞雄。「飛ばないけど、あまり曲げないのが...
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