第9回日本プロゴルフ選手権(1934年)
2018.09.03
優勝トロフィーを手に笑顔の宮本留吉(ゴルフ1934年10月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)
宮本留吉が5年ぶり3度目の優勝
1934(昭9)年9月21日、高知県室戸岬付近に上陸した観測史上まれにみる強い台風はその後、京阪神を縦断した。室戸台風である。阪神風水害とも呼ばれるこの災害で死者・行方不明者が3000人を超えるなど甚大な被害が出た。ゴルフ界にも影響があった。日本オープンは中止となり、9月27日から茨木CC(大阪府)で行う予定だった日本プロはコースコンディション不良などの理由で会場が急きょ広野GC(兵庫県)に変更された。
大会初日は快晴微風の絶好のコンディション。32人のプロが翌日からのマッチプレー進出をかけて36ホールのストロークプレーを行った。マッチプレーに進めるのは16人。前年までの8人から枠が広がった。
前半の18ホールで宮本留吉が69のコースレコードを叩き出してリードするが後半は81と崩れてしまう。それでも、3位で通過した。予選トップのメダリストは広野GC所属の石井治作と程ヶ谷CC(神奈川県)の岩倉末吉。3オーバー、149というスコアだった。
翌28日は18ホールマッチプレーの1、2回戦が行われた。浅見緑蔵、陳清水、中村兼吉ら強豪が1回戦で早々に姿を消す。一方でメダリストの2人は勝ち上がっていった。石井は藤井武人と安田幸吉を、岩倉は上田悌三と森岡二郎を破って準決勝に進出した。宮本は1回戦で自身が所属する茨木CCの後輩・岡村米吉を4&3で難なく下す。しかし2回戦では広野GCの柏木健一に大苦戦。18番のバーディーでようやく追いつき、延長3ホール目で振り切った。もう1人の準決勝進出者は広野GCの戸田藤一郎。1回戦で丸井義春に9&8で大勝すると2回戦では前年2位の林万福を5&3で圧倒した。
準決勝からは36ホール勝負である。石井と戸田、会場の広野GC所属プロ同士の対決は一進一退の激しい戦いとなった。前半はマッチイーブン。後半は石井1アップの8番から戸田が2ホール連取して逆転する。ところが石井は10番から3ホール連続で取り返し、2アップとした。戸田が15番を取って盛り返すが17番パー3でティーショットをバンカーに入れると脱出に失敗。石井が2&1で難敵を倒した。
もう一方の宮本と岩倉の一戦は宮本が序盤からリードを奪い、危なげない試合運びで6&4と快勝。5年ぶり3度目の優勝に王手をかけた。
迎えた決勝、前夜からの雨はスタート時刻の午前9時には上がっていた。ただ、コースはウェットな状態で、グリーンスピードは前日より明らかに遅くなっていた。このコースコンディションの変化が選手に与えた影響について月刊ゴルフ誌の『ゴルフ』は「試合開始頃になって夜来の雨が晴れ上がったがグリーンは重くて前日のコンディションと異り、前日ワン・パットを続出して戸田を抑えた石井の条件が甚しく不利となり、宮本に幾分勝ち目を予想させるものがあった」(一部現代語訳)と記述。大阪朝日新聞も「ホーム・プロ石井の有利な条件は消え失せて、宮本と殆ど甲乙なき状態の下に置かれた」と宮本にプラスに働いたと述べている。
実際に宮本に有利に働いたのかどうか定かではないが、実績で一枚上の宮本がマッチイーンブンで迎えた12番から4ホール連取して石井を圧倒。18番も奪って前半で5アップと大きくリードした。宮本は『ゴルフ』に寄せた手記で「5アップとなりましたから、午後はただついて行きさえすれば大丈夫だと思い、気がずっと軽くなりました」(一部現代語訳)とこの時の心境を語っている。
後半のアウトは2ホールずつ取り合って宮本の5アップは変わらず。インに入って石井が猛反撃するが時すでに遅し。3&1で宮本が逃げ切った。
宮本は手記で「石井はどうもインが得意らしい。戸田とやった時もアウトでダウンを食らいながら10番からストレートのバーディーで勝っているのでインでは決して油断は出来ないことを知っていました。案の定10番からバーディーを出し始め14番で2アップまで迫られた時にはヒヤリとしました」(一部現代語訳)と胸の内を吐露。余裕のあった前半とは異なり、終盤は薄氷を踏む思いであったことがうかがえる。
宮本はストロークプレー時代には4度の出場で2勝、2位が2度と抜群の安定感だったが、マッチプレーとなった1931(昭6)年以降は準決勝進出が1度だけと不本意な成績が続いていた。それだけにうれしい優勝。久しぶりに第一人者の貫録を示した。
プロフィル
宮本留吉(みやもと・とめきち)1902~1985兵庫県出身。小学生のころに神戸GC(兵庫県)でキャディーとして働きながらゴルフを覚えた。1925年に茨木CC(大阪府)でプロとなる。日本プロは第1回大会を含めて通算4勝、日本オープンは大会最多の6勝を挙げている。また、海外遠征の先駆者として道を拓き、32年の全英オープンで日本人選手初のメジャー出場を果たしている。12年に日本プロゴルフ殿堂入り。