第1回日本女子プロゴルフ選手権(1968年)
2014.05.19
第1回日本女子プロの結果を報じる1968年7月19日付日刊スポーツ
初代クイーンは樋口久子
熱戦を繰り広げている2014(平成26)年の女子ツアーは37試合が予定されている。この試合数は米女子ツアーの32試合を上回る世界一の規模。多くの海外選手も参戦しており、ワールドワイドなツアーへと成長しつつある。この女子ツアーが始まったのは1968(昭和43)年のことである。前年に日本プロゴルフ協会が第1回の女子プロテストを実施して26人が合格。同協会内に女子部を創設した。12月に日本プロゴルフ女子部創設記念競技が開催され、小川美智恵が優勝。そして翌1968年に本格的な競技がスタートした。
この年に開催されたのは日本女子プロと日本女子オープン(当時の大会名はTBS女子オープン)の2試合。ここから現在の姿へと大きく変貌したわけだ。
先に開催されたのは日本女子プロ。7月17、18の両日、静岡県の天城GCで第1回プロテスト合格者から22人と7月1日に入会したばかりの2期生4人の計26人が参加して行われた。
競技は1日27ホールを2日間プレーする計54ホールのストロークプレー。6320ヤード、パー73というセッティングだった。
初日は天城GC所属の二瓶綾子がまず抜け出す。18ホールを71で回り2位に5打差をつけた。しかし、20ホール目(パー4)の2打目を連続して左にOBしてこのホールで8を叩いてしまう。最後の9ホールは41と崩れ、通算112で樋口久子と並んだ。
最終日は31歳の二瓶と22歳の樋口の一騎打ち。18ホール終了時で樋口が1打リードして最後の9ホールに入っていった。20ホール目で二瓶が痛恨のダブルボギーを叩いて差が広がり、樋口は最終ホールをバーディーで締めた。通算3オーバーの222で樋口が初代クイーンに輝き、二瓶は4打差の2位。最後の9ホールで35をマークした小川美智恵が樋口から10打差の3位に入った。
大会前、樋口は師匠の中村寅吉から「第1回大会の優勝者はずっと名前が残るぞ」とハッパをかけられていたという。中村は女子部創設に尽力しており、当時は女子部部長を務めていた。初日終了後、パッティングが思うように決められなかった樋口は中村に相談し、「オープンスタンスで打て」とアドバイスをもらったというエピソードが日刊スポーツに掲載されている。その師匠が見守る中での優勝。見事に恩返しを果たした。
樋口はこの後、大会7連覇を達成。また12月に開催された第1回日本女子オープンでも優勝し、初代賞金女王にも輝いている。
プロフィル
樋口久子(ひぐち・ひさこ)1945~埼玉県出身。1967年の第1回女子プロテストでトップ合格。日本女子プロは第1回大会からの7連覇を含む通算9勝、日本女子オープンは第1回大会からの4連覇を含む通算8勝を挙げている。国内通算69勝、賞金女王11回。76年には米女子ツアーで日本人選手として初優勝を飾り、77年の全米女子プロで日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。97年から14年間日本女子プロゴルフ協会会長を務め、03年には日本人で初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。13年に日本プロゴルフ殿堂入り。
第1回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 樋口久子 | 222 | = 112 110 |
2 | 二瓶綾子 | 226 | = 112 114 |
3 | 小川美智惠 | 232 | = 115 117 |
4 | 佐々木マサ子 | 236 | = 117 119 |
5 | 大山文代 | 239 | = 115 124 |
6 | 岡田美智子 | 240 | = 114 126 |
7 | 坂本美代子 | 242 | = 122 120 |
8 | 清水和子 | 245 | = 125 120 |
9 | 中村悦子 | 247 | = 119 128 |
10 | 杉本伊代子 | 249 | = 124 125 |