第53回日本オープンゴルフ選手権(1988年) 2024.03.11 優勝トロフィーを掲げる尾崎将司(JGAホームページより転載) 2度仕切り直したウイニングパット。尾崎将司が14年ぶりV 「こういう歴史を誇る手づくりのいいコースはトライのしがいがある」(スポーツニッポン紙より)と話すのは初日4アンダーで単独首位に立った尾崎将司だ。1988(昭和63)年の会場は東京ゴルフ倶楽部(6923ヤード、パー71)。1913(大正2)年に結成され、駒沢(東京都)、朝霞(埼玉県)を経て現在の狭山(埼玉県)に移転したのは1940(昭和15)年のこと。駒沢、... 詳しく見る
第52回日本オープンゴルフ選手権(1987年) 2024.02.27 優勝カップを掲げる青木(JGAホームページから転載) 青木が中嶋らとの激闘制し、4年ぶり2勝目 兵庫・有馬ロイヤルGC(7034ヤード、パー72)で行われた大会は、波乱の幕開けになった。 第1日、優勝候補の尾崎将司が、3番ホールで誤球を犯した。深いラフのセッティングで、第1打を右のラフに入れ、ギャラリーが見つけた球を「よく確かめずに」打った。銘柄が同じだったが、4番ティーに行く前に誤球に気づき、第2打地点を探したが正球も見つからず、3罰打でこのホー... 詳しく見る
第51回日本オープンゴルフ選手権(1986年) 2024.02.13 大会史上3人目の連覇を飾った中嶋常幸(アサヒゴルフより) AOを2位に従え、中嶋常幸が大会史上3人目の連覇を達成 3人合わせた勝利数は国内外で200を軽く超え、賞金王は計21回にのぼる。日本プロゴルフ界に偉大な足跡を残してきた青木功、尾崎将司、中嶋常幸のいわゆるAONがそろって日本オープンの大舞台で火花を散らしたのが1986(昭和61)年のことだった。 会場は神奈川県の戸塚カントリー倶楽部西コース(7066ヤード、パー72)。前年覇者の中嶋(当時の登録名は中島)は海... 詳しく見る
第50回日本オープンゴルフ選手権(1985年) 2024.01.31 1985年10月14日付日刊スポーツ 中嶋常幸が逆転勝ちで日本タイトル5冠、公式戦7冠を達成 大会の舞台となった東名古屋CC(6390m、パー72)は、深いラフ、狭いフェアウエーの厳しいセッティングで選手を迎えた。「ラフに入れたら1打ごめんなさい」という声が漏れるほど、ショットの正確さが勝負になった。 第1日、飛び出したのは青木功だった。ここ数年、故障もあって不振をかこっていた。フェアウエーキープにため「スライスを打つんだという気持ちで必死だった... 詳しく見る