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日本オープンゴルフ選手権

第13回日本オープンゴルフ選手権(1940年)

2022.07.11
最終ラウンド15番ホールで2打目を放つ宮本留吉(ゴルフドム1940年7月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) 最終ラウンド15番ホールで2打目を放つ宮本留吉(ゴルフドム1940年7月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)

宮本留吉が大会最多6勝目をマーク

 第1回日本プロを制するなど黎明期から第一人者であり続けた宮本留吉と、12歳年下の戸田藤一郎。年は離れていたが戸田が台頭してからこの2人は何度も好勝負を繰り広げてきた。そんな宮本と戸田が日本と名のつくトーナメントで最後に覇権を争った舞台。それが1940(昭和15)年の日本オープンだった。  会場は東京ゴルフ倶楽部朝霞コース(パー74)である。この後、陸軍に接...

第12回日本オープンゴルフ選手権(1939年)

2022.06.27
ゴルフドム1939年7月号(日本ゴルフ協会所蔵) ゴルフドム1939年7月号(日本ゴルフ協会所蔵)

26歳戸田藤一郎が初の日本一に輝く

 廣野ゴルフ俱楽部で6月7~9日の3日間、開催された。ゴルフドム誌にその模様が詳しく書かれている。「本年度のオープンの感想」を寄稿したのは高畑誠一氏だった。この年は選手として出場していなかったようだ。高畑氏によると「秋に挙行されるのが慣例であるが、晩秋にティーとフェアウエーを荒らされると芝草の回復が不可能で、会員に次年度初夏まで不愉快と迷惑をかける恐れが多分...

第11回日本オープンゴルフ選手権(1938年)

2022.06.13
林萬福のティーショット(ゴルフドム1938年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) 林萬福のティーショット(ゴルフドム1938年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)

台湾出身・林萬福が日本オープン初優勝

 戦争の影響で姿を消してしまった名コースがいくつかある。神奈川県の藤沢CCもそのひとつ。赤星四郎、六郎兄弟らの手によって設計され、1932(昭和7)年に18ホールが完成したが、1943(昭和18)年に海軍に接収されて閉鎖となってしまった。  その藤沢CCで日本オープンが開催されたのが1938(昭和13)年のことである。パーはアウト36、イン37の計73という...

第10回日本オープンゴルフ選手権(1937年)

2022.05.30
ゴルフドム1937年7月号(日本ゴルフ協会所蔵) ゴルフドム1937年7月号(日本ゴルフ協会所蔵)

台湾プロゴルフのパイオニア陳清水が初制覇

 この年の会場は、1931年開場の神奈川・相模コース(相模カンツリー倶楽部)で、6月3~5日の開催だった。6621ヤード、パー73に設定され、ゴルフドム誌1937年7月号によると、コースの設計者赤星六郎がティーマークからピンの切り方、芝の刈り方などのコースセッティングすべてを指示したという。「世話役」と呼ばれていたが、今でいうとトーナメントディレクターのよう...
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