第7回日本オープンゴルフ選手権(1933年)
2022.04.11
優勝カップを持つ中村兼吉(ゴルフドム1933年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)
師弟対決を制して中村兼吉が大会初制覇
昨年(2021年)、東京2020オリンピックゴルフ競技の会場になった霞ヶ関カンツリー倶楽部が開場したのは1929(昭和4)年のことである。当初は18ホール。3年後に新しい18ホールが完成し、我が国初の36ホールを有する倶楽部となった。従来の18ホールは東コース、新しい18ホールは西コースと名付けられた。オリンピックが開催されたのは東コースである。
霞ヶ関で初めてプロのトーナメントが開催されたのは1933(昭和8)年だった。9月末に東西対抗が行われ、10月6日からは日本オープンの会場となった。ともに、東コースで行われている。当時の東コースは6700ヤード、パー74という設定だった。
大会初日は午後から雨になった。トップに立ったのは3アンダー、71で回った安田幸吉。2位の中村兼吉に4打差をつける会心のラウンドだった。
2日目、安田は76とやや乱れたが通算1アンダー、147で首位を守った。2位は1打差で中村が続く。3位は戸田藤一郎の150。陳清水と林万福が152で4位に並んだ。
安田は日本オープンで第2回大会から3年連続の2位。日本プロと関東プロでも2位が1回ずつあった。黎明期の日本を代表するプレーヤーでありながら無冠に甘んじていた安田。プロのトーナメントが始まって8年目、当時28歳の安田に絶好のチャンスが巡ってきたわけだ。
追う中村は22歳。安田は師匠にあたる存在だ。経験では師匠にはかなわないが、前年、そしてこの年と関東プロを連覇中。勢いでは上回っていた。
36ホールの最終日は小雨が降り続いた。無冠返上を目指す安田は8番までパーを続けたが9番でボギーが先行。続く10番では3パットでダブルボギーを叩いてしまう。17番でようやく初バーディーが来たが第3ラウンドは78と苦戦した。
2位で出た中村は1番ボギー、2番ダブルボギーといきなりつまづいた。それでも、そこから立て直して第3ラウンドは75。安田に代わって首位に立った。3位にいた戸田は81と崩れて優勝争いから脱落。75で回った陳が3位に浮上していた。
最終ラウンド、中村は3番、5番でバーディーを奪い、アウトを2アンダー、35で折り返す。安田は41と崩れ、陳も38とスコアをひとつ落とした。残り9ホールとなった時点で中村のリードは7打。独走態勢を築いていた。
中村は最後の9ホールも3バーディー、2ボギーと快調にプレーして最終ラウンドは71。通算2アンダー、294で日本オープン初優勝を飾った。2位には9打差で陳と最終日に追い上げた霞ヶ関所属のフィリピン人プロ、ラリー・モンテスが入った。
日本ゴルフ界の重鎮である大谷光明がゴルフ誌の『ゴルフドム』に観戦記を寄せており、その中で中村のアプローチとパッティング、さらには精神面の強さを高く評価している。こういう長所が2年後の全米オープンで日本選手初のメジャー予選通過につながったのかもしれない。
余談になるかもしれないが、最終日翌日に陳とモンテスによる18ホールの2位決定プレーオフが行われている。結果は71で回ったモンテスの勝利だった。東京2020オリンピックでは男子が銅メダル、女子が銀メダルをかけたプレーオフが実施されたが、88年前にも同じコースで「銀メダルプレーオフ」が行われていたのである。
(文責・宮井善一)
プロフィル
中村兼吉(なかむら・かねきち)1911(明治44)6月20日~1974(昭和49)年2月28日 東京都出身。東京ゴルフ倶楽部駒沢コースで子供のころからキャディーをしており、17歳で安田幸吉の助手になってプロへの道を歩み始めた。1932年関東プロで初優勝。翌1933年には関東プロ、日本オープンを制している。1935年に米国遠征メンバーに選ばれ、全米オープンで日本から参戦した6人中、ただ1人決勝ラウンドに進出。これがメジャーにおける日本選手初の予選通過だった。1957年に創設された日本プロゴルフ協会では副理事長を務め、協会の発展に寄与。2019年日本プロゴルフ殿堂入り。
第7回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 中村 兼吉(藤沢) | 294 | = 75 73 75 71 |
2 | Larry Montes(PHL) | 303 | = 78 77 75 73 |
3 | 陳 清水(武蔵野) | 303 | = 78 74 75 76 |
4 T | 宮本 留吉(茨木) 安田 幸吉(東京) |
304 | = 79 75 76 74 = 71 76 78 79 |
6 | 村木 章(宝塚) | 305 | = 79 76 75 75 |
7 | 戸田 藤一郎(広野) | 307 | = 76 74 81 76 |
8 | 林 萬福(台湾) | 309 | = 76 76 78 79 |
9 | 小谷 金孝(茨木) | 311 | = 80 77 76 78 |
10 | 森岡 二郎(鳴尾) | 313 | = 80 77 78 78 |
※2、3位はプレーオフによる/参加者数65名(アマ28名)