第65回日本オープンゴルフ選手権(2000年)
2024.09.09
優勝カップを掲げる尾崎直道(JGAホームページより転載)
尾崎直道、2年連続完全優勝の快挙達成
鷹之台カンツリー倶楽部(千葉県、7034ヤード、パー71)で日本オープンが開催されるのは細石憲二が“暗闇のプレーオフ”を制した1961(昭和36)年以来、39年ぶり3回目である。10月12日の大会初日、予選会から出場権を得た川原希と前年大会覇者の尾崎直道、2年前のチャンピオンである田中秀道が4アンダー、67をマークして首位に並んだ。朝から時折雨が降り、気温が前日から急降下した2日目は平均ストロークが4日間で最も悪い76.314にまで落ち込んだ。初日首位の3人は苦しみながらも全員が72と踏ん張り、通算3アンダーでそのまま首位を守った。2打差の4位はこの日ベストスコアの67を叩き出した細川和彦ら3人。通算8オーバーまでの61人が決勝ラウンドに進んだ。
天候が回復した3日目、川原と最終組を回った尾崎直はいきなり1番でカラーから4打を費やしてダブルボギーを叩いてしまう。朝の練習場からフィーリングが良く、気合が入ったことが裏目に出た。「気合が入ったら手が動かなくなるんだよ。きょうは笑ってやろうと思った」と肩の力抜き、2番以降はバーディーを量産する。難関ホールが続く終盤で2つスコアを落としたが、マークした70はこの日全体で2番目の好スコア。通算4アンダーで単独首位となった。
最終組のひとつ前でプレーした田中は上がり3ホールで2バーディーを奪って2打差の2位で終了。404ヤードのパー4、17番では右ラフに並ぶ4本の木を避けるためにティーショットで5番アイアンを選択する戦略が奏功してのバーディーだった。
川原は73で3打差3位に後退。5打差の4位には服部直樹と台湾の林根基がつけた。
最終日最終組は2年前、大洗ゴルフ倶楽部で最後まで優勝を争った尾崎直と田中。この時は別の組で回り、田中に軍配が上がっている。
2番、田中が深いラフからのアプローチをミスしてダブルボギーとしてしまう。以降は2バーディー、2ボギーと粘りのゴルフを続けたが、このダブルボギーが響いて3打差の3位に終わった。
尾崎直は4番バーディー、7番ボギーのあと、我慢のパーを連ねていく。2つ前の組で林が猛追してきたが、自分のゴルフを貫いた。
1打差まで迫っていた林が最難関の478ヤード、パー4、18番でボギーを叩く。尾崎直も最後はパーをセーブできなかったが林を1打抑えて大会史上7回目(5人目)の連覇を果たした。しかも、2年連続で初日から一度も首位を譲らない完全優勝。これは宮本留吉(1929、30年)、セベ・バレステロス(1977、78年)に続く3人目の快挙だ。
連覇達成者の中には兄・将司の名もある。その兄は前年、念願の初優勝を手にした弟が上がってくるのを待たずにコースを後にしていたが、今回はグリーン脇で出迎えてくれた。
「やっと認められたってことかな」と言う尾崎直の顔は達成感であふれていた。
(文責・宮井善一)
プロフィル
尾崎直道(おざき・なおみち)1956(昭和31)年5月18日生まれ、徳島県出身。兄2人を追って尾崎将の元で13歳からゴルフを始める。千葉日大一高を卒業後、1977年にプロテストに合格。1984年静岡オープンでツアー初優勝を飾る。1991年に4勝を挙げて初の賞金王。1993年からは米ツアーにも挑戦している。1997年ヨネックスオープン広島でツアー通算25勝目を挙げて永久シード選手に。ツアー通算32勝。賞金王2回(91、99年)。日本オープン(99、00年)日本プロ(99年)日本シリーズ(88、89、91年)日本プロマッチプレー(90年)と日本タイトル4冠を達成している。シニア入り後は米チャンピオンズツアーに挑戦した。国内シニアでは3勝を挙げ、2012年には賞金王となっている。2021年度に日本プロゴルフ殿堂入り。
第65回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 尾崎 直道 | 281 | = 67 72 70 72 |
2 | 林 根基 | 282 | = 71 70 73 68 |
3 | 田中 秀道 | 284 | = 67 72 72 73 |
4 | 牧坂 考作 | 285 | = 71 71 73 70 |
5T | 尾崎 将司 川原 希 |
286 | = 70 73 72 71 = 67 72 73 74 |
7T | D・スメイル 米山 剛 |
287 | = 73 74 70 70 = 71 73 72 71 |
9 | 服部 直樹 | 288 | = 70 72 72 74 |
10 | 片山 晋呉 | 289 | = 70 78 69 72 |