第59回日本オープンゴルフ選手権(1994年)
2024.06.10
優勝カップを掲げる尾崎将司(JGAホームページより転載)
記録的圧勝で尾崎将司が大会5勝目
まだ選手層が薄かったトーナメントの黎明期、強い選手が波に乗るととんでもない独走劇を演じることがあった。第1回の日本オープン(1927年=昭和2)ではアマチュアの赤星六郎がプロを子ども扱いする10打差の圧勝。1930(昭和5)年には日本プロで村木章が、日本オープンでは宮本留吉がそれぞれ19打差という異次元のプレーでタイトルを手にしている。戦後もトーナメント復興後数年は大差ゲームが少なからずあった。日本オープンでも1952(昭和27)年に中村寅吉が11打差で勝っている。
選手層が厚くなるにしたがって大差ゲームが少なくなり、日本オープンでは1958(昭和33)年以降は最大でも5打差。大半が2打差以内で最後まで分からないし烈な争いが繰り広げられていた。
ところが、1994(平成6)年大会は1人の選手の強さばかりが際立った。ここまで大会4勝を挙げている尾崎将司だ。
前年は2打差首位で最終日を迎えながら、まさかの76と崩れて逆転負け。雪辱を期して会場の四日市カンツリー倶楽部(三重県、7275ヤード、パー72)に乗り込んだ。
台風接近で強い風が吹いた初日、大会4勝の中嶋常幸(当時の登録名は中島)が1オーバーの73、前年覇者の奥田靖己が3オーバー、75など各選手が苦しむ中、尾崎は高い技術でボールを操り、風の影響を感じさせない。グリーンを外したのはたったの2ホールで4バーディー、ボギーなしの68。カルロス・フランコと並んで首位発進した。
風が弱くなった2日目は7バーディー、1ボギーの66をマークして通算10アンダー。2位の加瀬秀樹に4打差をつけて早くも独走態勢を築きはじめた。
3日目は前半こそスコアをひとつ落としたが、インでは4バーディー、ボギーなし。3日間通算13アンダーで2位・加瀬との差を6打にまで広げて2年ぶりの大会5勝目に王手をかける。
そして最終日も尾崎の独壇場となった。1、2番で連続バーディーを奪って追う選手の希望を打ち砕く。その後も7番、11番、14番とバーディーを積み重ね、ボギーはゼロ。通算18アンダー、270ストロークは共に従来のものを4打塗り替える新記録となった。2位の加瀬、デービッド・イシイにつけた13打差は1930年宮本留吉(19打差)に次ぐ大会歴代2位の大差勝ちだ。
4日間で21個のバーディーを奪い、ボギーはたったの3個。「今はよほどのことがない限りボギーを叩く気がしない」(スポーツニッポン紙より)と言うほどの充実ぶりだ。
尾崎のスコアだけを拾い上げると易しいセッティングだったのかと思われそうだが、4日間の平均ストロークは74.087と日本オープンらしい数字。通算アンダーパーで終えたのは10人だけで、尾崎1人が別世界のゴルフをしていたわけだ。
大会5勝は宮本留吉の6勝に次ぐ歴代2位。47歳の尾崎が記録的な勝利を挙げた。
(文責・宮井善一)
プロフィル
尾崎将司(おざき・まさし)1947(昭和22)年1月24日生まれ、徳島県出身。徳島海南高校時代は野球部のエースとして選抜高校野球大会を制し、西鉄ライオンズに入団。実働3年で退団してプロゴルファーを目指した。プロデビュー2年目の1971年日本プロを皮切りに前人未踏の通算113勝(海外1勝を含む。1973年ツアー制度施行後は94勝)を挙げ、賞金王は計12回。2010年に世界ゴルフ殿堂入り。
第59回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 尾崎 将司 | 270 | = 68 66 69 67 |
2T | 加瀬 秀樹 David Ishii |
283 | = 71 67 71 74 = 70 74 69 70 |
4 | 友利 勝良 | 284 | = 74 66 73 71 |
5T | Carlos Franco 水巻 善典 |
285 | = 68 74 76 67 = 73 70 73 69 |
7 | 中島 常幸 | 286 | = 73 71 71 71 |
8T | 髙見 和宏 Todd Hamilton Frankie Minoza |
287 | = 69 73 72 73 = 72 72 66 77 = 76 71 68 72 |