第57回日本オープンゴルフ選手権(1992年)
2024.05.13
優勝カップを掲げる尾崎将司(JGAホームページから転載)
5打差快勝で尾崎将司が3年ぶり4度目の大会制覇
日本オープン史上初の3連覇がかかる中嶋(当時の表記は中島)常幸は緊張であまり眠れないまま1992(平成3)年大会初日を迎えていた。百戦錬磨の中嶋にとっても、それくらい3連覇の重圧は大きかったのだ。会場は茨城県の龍ヶ崎カントリー倶楽部(7012ヤード、パー72)。1番でティーショットを左の林に曲げていきなりボギーとした中嶋は後半盛り返すがパープレーに戻すのがやっと。大会新の64を叩き出したジャンボこと尾崎将司からは8打差の25位と出遅れた。
ジャンボはこの年すでに4勝と好調。2位に3打差をつける好スタートで3年ぶりのタイトル奪回に勢いをつけた。
2日目は悪天候のため中止。競技は16年ぶりに月曜日まで延期されることになった。
仕切り直しの第2ラウンド、一時は通算9アンダーまで伸ばしていたジャンボは14番でバンカーショットをミスしてダブルボギー。この日は73にとどまり、通算7アンダーに後退。それでも3打差の首位は変わりなかった。
2位は倉本昌弘、髙橋勝成、D・イシイの3人。中嶋は初日に続いて72で7打差21位と停滞した。
日曜日の第3ラウンド、ジャンボは3バーディー、2ボギーの71にまとめて通算8アンダー。3打差首位の座は揺るがなかった。
倉本、陳志忠と並ぶ2位に浮上してきたのがジャンボの弟・直道だった。69をマークして通算5アンダー。前年の賞金王がジャンボとの兄弟最終日最終組対決を実現させた。
チャージをかけたい中嶋は1番でダブルボギーといきなりつまずいた。それでもここから猛反撃。18番のボギーは痛かったが69で回って通算3アンダー。5打差8位に順位を上げて3連覇にわずかな希望を残した。
だが、最終ラウンドはジャンボの独壇場となった。2、4番のパー5で確実にバーディーを奪うなどアウトは2アンダーの34。通算10アンダーに乗せた。
一方で同組の直道は4番までパーのあと5番でダブルボギー。ひとつ前の組で回る倉本と陳もボギーが先行してジャンボを追うことができない。大逆転を目論む中嶋も1番ボギーで勢いに乗れなかった。
ジャンボはインでも1バーディー、ボギーなしの安定感で通算11アンダー。初日からの首位を余裕で守り、2位の倉本とB・フランクリンに5打差をつける快勝で3年ぶり4度目の日本オープンタイトルをつかんだ。
4位に終わった直道は「力が違いすぎる」(日刊スポーツ紙より)と脱帽。2年前にジャンボの3連覇を阻んでいる中嶋は「お互いさまだよ。強い人間が勝つんだから」(日刊スポーツ紙より)と話した。
当時45歳。黄金期を迎えた感のあるジャンボは大会連覇した1988、89(昭和63、平成1)年の自身と比較して「その時と比べてもうまくなっていると思う」(スポーツニッポン紙より)と満足感たっぷりだった。
(文責・宮井善一)
プロフィル
尾崎将司(おざき・まさし)1947(昭和22)年1月24日生まれ、徳島県出身。徳島海南高校時代は野球部のエースとして選抜高校野球大会を制し、西鉄ライオンズに入団。実働3年で退団してプロゴルファーを目指した。プロデビュー2年目の1971年日本プロを皮切りに前人未踏の通算113勝(海外1勝を含む。1973年ツアー制度施行後は94勝)を挙げ、賞金王は計12回。2010年に世界ゴルフ殿堂入り。
第57回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 尾崎 将司(ジャンボ尾崎) | 277 | = 64 73 71 69 |
2T | Brent Franklin(CAN) 倉本 昌弘(富士ゼロックス) |
282 | = 69 73 71 69 = 71 69 71 71 |
4T | 高橋 勝成(ライカ) 尾崎 直道(日東興業) 陳 志忠(スリーポンド) |
283 | = 69 71 72 71 = 72 70 69 72 = 72 69 70 72 |
7T | 鈴木 弘一(美野原) 室田 淳(メトロポリタン) 中島 常幸(ミズノ) |
284 | = 75 71 72 66 = 67 75 72 70 = 72 72 69 71 |
10T | 謝 錦昇(台湾) Todd Hamilton(USA) David Ishii(USA) 奥田 靖己(作州武蔵) 宮瀬 博文(マザー牧場) |
285 | = 72 76 69 68 = 68 77 70 70 = 68 72 73 72 = 69 76 67 73 = 69 72 71 73 |
参加者数 120名(アマ22名)