第56回日本オープンゴルフ選手権(1991年)
2024.04.30
1991年日本オープンで優勝カップを掲げる中嶋常幸(JGAホームページより転載)
中嶋常幸が須貝昇とのプレーオフ制し、大会連覇で4度目V
会場の下関GC(6971ヤード、パー72)は、シーサイドのコース特有の風が選手たちを苦しめた。第1日、強風が吹いたこともあって、119人出場でアンダーパーはわずか8人。その中で日大2年生のアマチュア、米倉和良が2イーグルを奪って2アンダー70で回り、海老原清治、室田淳とともに首位に立った。
「すごくいい気持ちです」と振り返った1つ目のイーグルは6番で残り220ヤードを4番アイアンで4mにつけた。2つ目は12番で2mのイーグルパットに「これを入れたら前の連続ボギーは帳消し」(スポーツニッポン紙から)と思って打ったという。下関市とは関門海峡を隔てた北九州市の出身で、駆け付けた両親の前で会心のゴルフを見せた。
2打差以内に17人がひしめき、2打差9位にともに4度目の優勝を目指す前年覇者の中嶋常幸(当時登録名中島)、尾崎将司がつけていた。
第2日、風のため上位のスコアは伸びない。その中で、首位タイでスタートした室田が連日の70をマークし、通算4アンダーで単独首位に抜け出した。「3割ぐらいしかフェアウエーに行かない割にはスコアはいいんですよ」(日刊スポーツ紙から)と、5バーディー、3ボギーのプレーを振り返った。スポーツニッポン紙によると、風邪による発熱で注射を打ってのプレーだったが「風は好き。どんどん吹け」と笑った。
2打差2位に浮上したのが尾崎将。「これだけ風が吹いてくると、難しいというか、嫌らしいというか。本当に疲れるよ」といいながらも、アウトで1つ落としながらも、インで3バーディーを奪って、4度目の優勝を視界にとらえた。
第3日、上位陣がスコアを落とすなど、ますます混戦になって行った。中でも、マンデー予選をクリアして出場してきた溝口英二が大健闘。6バーディー、5ボギーの出入りの激しいゴルフながら、通算イーブンパーに粘り、ホールアウトした時点で優勝圏内に。「まぐれですね。なんでここ(インタビュールーム)にいるんだろう」と笑わせた。この年のツアーは3試合目。日刊スポーツ紙によると、友人から借金をしてのツアー参戦で「稼がないと返せませんね」と話した。
通算アンダーパーの選手がいなくなり、首位に立ったのは溝口のほか、牧野裕、室田の3人。牧野は「自分でもよく頑張っていると思う」と話した。尾崎将が77で4打差6位に後退したが、替わって1打差4位に浮上したのが中嶋。3バーディー、2ボギーで回り「絶対にスコアが伸びるコースじゃないのはわかっていた」と話した。
最終日、スコアは落ちていき、首位が目まぐるしく変わる展開に。そんな中、6打差18位でスタートした青木功が猛チャージをかけた。1、2番連続バーディーで出て、14番で5つ目のバーディー(1ダブルボギー)を奪った時点で通算3オーバーとして優勝争いに加わった。尾崎将も追いかけ、一時3オーバーでAONほか7人が並ぶ激戦になった。
その中から抜け出したのは中嶋と7位スタートの須貝昇。須貝は1番をボギーで出たが、16番でこの日3つ目のバーディーを奪って70で回り、通算2オーバーでホールアウト。中嶋は7番で3打目をOBにするなど8をたたいていったん後退したが、8、9番連続バーディーなどで盛り返し、最終18番で3mを入れて2オーバーとした。
前の組と2ホール空いていた最終組の溝口、牧野が崩れ、牧野が18番の第1打が入らなかった時点で追いつけないことが確定したため、正規のラウンドを全員終了していないうちに2人のプレーオフが始まる異例の展開になった。
1ホール目の17番パー3。日刊スポーツ紙によると、中嶋が3メートルにオン。左に外した須貝のアプローチは2.5mと寄らなかった。中嶋のバーディーパットはカップにけられて入らずも、須貝のパーパットが外れて決着した。
中嶋は「風にも人にも教えられた試合だった」と振り返った。実は、第2日の18番でダブルボギーが確定した際に歩測しようとしたキャディーに、イライラから暴言を吐いてしまった後悔が頭を離れなかったという。そのキャディーの励ましもあって達成した連覇に「うれしくて泣いたことは1度もない」という中嶋の目が潤んでいた。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
中嶋常幸(なかじま・つねゆき)1954(昭和29)年10月20日生まれ、群馬県出身。父・巌氏の英才教育で腕を上げ、73年日本アマを当時大会史上最年少の18歳で制する。プロ入り後もすぐに頭角を現し、77年に22歳で日本プロを制した。82年に初の賞金王、83年には年間最多記録の8勝を挙げた。海外では86年全英オープン最終日最終組で回り、88年全米プロの3位など、日本選手として初めて4大メジャーすべてで10位以内に入った。シニアでも2005年日本シニアオープン、06年日本プロシニアを制し、レギュラーツアーの日本プロ、日本オープン、日本シリーズ、日本プロマッチプレーと合わせ「日本タイトル6冠」を達成。日本アマも含め「日本タイトル7冠」とともに、関東オープン。プロを合わせた「公式戦9冠」はただ1人の偉業となる。レギュラーツアー通算48勝、シニアツアー通算5勝。17年スポーツ功労者文部科学大臣顕彰、18年日本プロゴルフ殿堂入り。
第56回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 中島 常幸(ミズノ) | ※290 | = 72 74 71 73 |
2 | 須貝 昇(嵐山) | 290 | = 74 70 76 70 |
3T | 青木 功(フリー) 西川 哲(フリー) |
291 | = 75 75 72 69 = 72 73 75 71 |
5T | 尾崎 将司(ジャンボ尾崎) 牧野 裕(デサント) |
292 | = 72 70 77 73 = 73 69 74 76 |
7T | Graham Marsh(AUS) 高橋 勝成(ライカ) 金井 清一(ダイワ精工) |
293 | = 72 78 72 71 = 74 75 73 71 = 74 73 73 73 |
10T | 湯原 信光(インペリアル) 重信 秀人(フリー) Anthony Gilligan(AUS) 丸山 茂樹(土浦) |
294 | = 77 71 74 72 = 75 75 72 72 = 71 72 79 72 = 74 73 73 74 |
※プレーオフ
参加者数 120名(アマ22名)