第44回日本オープンゴルフ選手権(1979年)
2023.10.23
写真は週刊アサヒゴルフ1977年12月7日号
郭吉雄が4人プレーオフを制して台湾勢20年ぶりの優勝
大会3連覇を狙うセベ・バレステロス(スペイン)がこの年もやってきた。滋賀・日野GCキングC(6440m、パー72)で11月1日から4日間の開催だった。第1日、注目のバレステロスはパッティングにてこずって出遅れた。2連覇したコースはベントグリーン。このコースは、欧州ではあまりなじみがない高麗グリーン。「おれを勝たせないためかな」と冗談をいうほどで「バーディーが1つもないラウンドなんて初めて」(日刊スポーツ紙)と、2オーバー74の33位にぼやいた。
この日脚光を浴びたのは、日大1年生のアマチュアの金子柱憲。前年、この大会で最年少ベストアマに輝いている。インスタートから、16番3m、17番1.5mの連続バーディーで飛び出し、得意というアイアンの調子がよかった。8番ではチップインバーディーを奪うなど、2アンダー70をマーク。上野忠美、窪田茂、川村正巳、水野紀文とともに首位に立った。「今日はアプローチがよかった。一生懸命やるだけ」(スポーツニッポン紙)と話している。
第2日、日本オープンのタイトルを逃し続けてきた青木功が物議をかもす。18番第3打のアプローチで、バックスイングに入った瞬間に近くにいたカメラマンが動いた。怒った青木は「クラブを投げた」(スポーツニッポン紙)、「(突き出した)クラブがすっぽ抜けてカメラマンも足元に転がった」(日刊スポーツ紙)など描写はいろいろあるが、持っていたクラブがカメラマンの所に飛んだことは確かなようだ。このホールをボギーで73、通算4オーバー39位とうまくいかないイライラもあったか。「ありゃないよ。オレやったことは恥ずかしいこと、謝るよ。写真を撮られるのはうれしいけど、もう少し考えてくれないと」とスポーツニッポン紙はその時の気持ちを伝えている。
通算5アンダーで首位に並んだのが、上野と窪田。窪田は日大出身で、関東学生を制していた。卒業後にこのコースに近い滋賀の近江CCに就職してプロに入った。何度もプレーしているコースで連日のベストスコアに「隅々まで知っている」といい「でも僕なんてただ一生懸命やるしかありません」と話した。
バレステロスは首位に6打差の13位にジワリと浮上した。
第3日、前日トラブルを起こした青木が会心のゴルフを披露した。4番でバーディーを奪うと、6ホール連続1パットに収めて前半4バーディー。前日まで苦しんでいたグリーン上だったが「パットの感じがよみがえってきた」と振り返るように、後半も2バーディーで6アンダー66のコース新をマークし、通算2アンダーで5位に浮上した。「喉から手が出るほど(タイトルを)ほしいさ。後はベストを尽くして流れに任せるしかない」と話した。
窪田が1つスコアを伸ばし、通算6アンダーで3日間首位を守り、1打差で郭吉雄、山本善隆がつける展開になった。バレステロスは8打差18位に足踏みし、3連覇は難しくなった。
最終日はスコアが伸びず、大混戦になった。上原宏一が7バーディー、1ボギーの66をマークして通算3アンダーで先にホールアウトした。2位スタートの郭は前半こらえたが、後半2ボギーをたたいて通算3アンダーに。同じく2位スタートの山本も14、15番連続ボギーで同じく3アンダー。そして、青木が追い上げを見せて、16番で2mを決めていったんは首位に立ったが、17番のボギーで3アンダー。4人によるプレーオフに突入した。
1ホール目の16番パー5で郭と山本がバーディーを奪い、パーに終わった青木と上原が脱落。17、18番をパーで引き分けて4ホール目、また16番パー5に戻った。第3打91ヤードを郭が2m強につけ、山本はグリーン左手前のバンカーからの第3打を同じような距離に。山本が競技委員を呼び、どちらが先に打つかの判断を仰いだ。郭が先に打つことになり、これを沈めた。それを見てから打った山本のパットはカップ手前で失速して止まった。
76ホールを戦った郭は、日本オープンでは1963年にベストアマとなり、翌年プロ転向して以降、15回目の挑戦で初優勝を手にした。台湾勢としては1959年陳清波以来の勝利。「何よりも価値ある優勝です。もちろん、これまでのどの優勝よりうれしい」と笑顔が絶えなかった。
敗れた青木は、ここ10回中、これで2位が3回目。3位も2回などトップ10入りも8回目になった。「日本オープンは今年だけじゃない。いいじゃないか、まだまだおれのゴルフ人生に目標が残っていることは」と、さばさばした表情だったという。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
郭吉雄(かく・きちゆう)1949年5月25日生まれ、台湾出身。1964年プロ入りし、74年インドオープンで初優勝するなどアジアサーキットで活躍。日本ツアーでは、78年アジアサーキットの最終戦でもあったダンロップ国際で初優勝。79年は10月のジュン・クラシック、ゴルフダイジェスト・トーナメント、11月の日本オープンと、5週間に3勝を挙げた。日本ツアー通算4勝、アジアサーキットはダンロップ国際も含めて9勝を挙げている。
第44回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 郭 吉雄(台湾) | 285※ | = 71 70 70 74 |
2T | 山本 善隆(城陽) 青木 功(日本電建) 上原 宏一(札幌グリーンヒル) |
285 | = 73 71 67 74 = 75 73 66 71 = 74 72 74 65 |
5T | Lon Hinkle(USA) 内田 繁(春日井) |
286 | = 71 74 68 73 = 71 74 69 72 |
7T | Severiano Ballesteros(スペイン) 安田 春雄(誠和グループ) 杉原 輝雄(ファーイースト) |
287 | = 74 71 73 69 = 71 74 71 71 = 73 69 72 73 |
10T | 横島 由一(JUN) 草壁 政治(紫) 鈴木 規夫(城島高原) |
288 | = 76 71 72 69 = 73 74 71 70 = 74 72 70 72 |
※プレーオフ
参加者数 151名(アマ20名)