第42回日本オープンゴルフ選手権(1977年)
2023.09.25
週刊アサヒゴルフ1977.12.7号より
20歳「スペインの星」バレステロスが初優勝
1927年に始まったこの大会は、第2次世界大戦での中断をはさんで、50年を迎えた。半世紀の歴史を刻んできた大会に、この年は海外から「大物」が参加した。1973年全米オープン、76年全英オープンに優勝した米ツアーのジョニー・ミラー、この年欧州ツアー4勝で賞金王の「スペインの星」セベ・バレステロス。「エントリーフィー3万円を支払って」(報知新聞紙)の出場で、賞金総額6500万円、優勝賞金1000万円は、欧米ツアーの選手にとっても「魅力的な」大会ということなのだろう。
会場は千葉・習志野CC(6507ヤード、パー71)。キング、クイーン両コースからピックアップした18ホールは、本来のロングホールの5ホールでティーを少し前に出してパー4にしており、飛距離が必要なコースになっていた。
第1日は雨で、千葉県には大雨洪水警報が出されていた。コースは水浸しで、一時中断を挟んでのラウンドになった。「これじゃ、ゴリラか怪物並みの力じゃないと攻められない」と、ミラーが話したというコンディション。そこで飛び出したのがバレステロスだった。「ドライバーはうまく当たれば320ヤードは行く」と言うように、豪打がさく裂し6バーディー、4ボギーの2アンダー69で首位に立った。
1打差2位に鈴木規夫、前田新作、松田司郎が並んだ。鈴木は「バーディーを取ろうとするとズルズル崩す。1つでも沈めたら、それを守っていくしかない」というように、2バーディー、1ボギーで確実に回った。
ミラーは4オーバーで27位発進。当時「AOM」と呼ばれた中で青木功、村上隆が1オーバー10位、尾崎将司が2オーバー16位でスタートした。
第2日、インスタートのバレステロスは、11、12番連続ボギーの発進だったが、アウトで2バーディーなど72に踏みとどまり、通算1アンダーで首位を守った。
首位に並んだのが鈴木。バンカーに苦しんで2つボギーが先行したが、じっと我慢で終盤の16、18番で取り返してイーブンパー71、通算1アンダーをキープした。「通算イーブンなら優勝出来るやろ」(日刊スポーツ紙)と話している。
1打差3位に島田幸作が浮上し、村上が3打差5位、尾崎将が4打差7位につけた。ミラーは77をたたいて予選落ちした。
4位でスタートした謝永郁がトラブル。「えらいことをしてしまった」とホールアウトした。最終9番グリーンで謝は同組の山田健一のマークの位置から打ち、間違いに気づいて打った球を拾い上げ、自分のマークした位置から打った。競技委員に裁定を仰ぎ、誤所からのプレー(2罰打)、インプレーの球の拾い上げ(1罰打)、最初に打った位置から打たなければならないのに自分のマークした位置から打ったことで再度誤所からのプレー(2罰打)と、計5罰打で76となり、優勝争いから一気に36位に後退した。プロのトーナメントでは1ホール最大の罰打になったと報じられている。
第3日、バレステロスは崩れそうになりながらもこらえた。通算2アンダーできた7番で第2打を右バンカー縁の深いラフへ。両足がバンカー内の第3打は数mしか飛ばず、第4打もグリーンに届かずに5オンのダブルボギー。貯金がなくなった。しかし、すぐに8番でバーディーを取るなど、通算イーブンパーで首位を守った。「明日は今日の調子ならダメ、昨日の調子なら勝てると思う」といい「こんな大きな賞金は初めて」(日刊スポーツ紙)と、早くも優勝を思い描く。
浮上したのは村上。謝敏男と共に2打差2位につけた。優勝の可能性を聞かれ「イーブンかアンダーパーにすればチャンスあるもんね」と答えた。
最終日、バレステロスは3番で1mをつけ、6番ではラフからチップインでバーディーを奪った後、8番でイーグルを決めて2位村上に一時5打差をつけて独走かと思われた、しかし、村上も8番1m,9番4m、11番5mを入れるバーディーで追いすがる。バレステロスは9番で落とした後、15、16番連続ボギーとし、14番で村上がボギーにしていたが、あっという間に1打差に。17番でともにボギーにして最終18番パー5。バレステロスは右の林に打ち込んだが、ナイスリカバリーで出し、7~8mに3オン。村上は1.5mのチャンスにつけた。バレステロスがバーディーを逃した後の村上、左に切れて外して天を仰いだ。バレステロスが通算イーブンパーで初優勝を飾った。
欧州の選手としては初めての優勝。「こんな心臓に負担がかかった試合は初めて。とにかく疲れた」と、20歳の若武者にもしばし笑顔がなかった。今後を聞かれて「米ツアーに行くのはまだ若すぎる」(報知新聞紙)と話したが、この時既に欧州ツアー2年連続賞金王になっていた。この後、世界をまたにかけて大活躍を演じることになる。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
セベリアーノ(セベ)・バレステロス1957年4月9日~2011年5月7日。スペイン・カンタブリア州ペドレーニャ出身。16歳でプロ転向。1976年に欧州ツアーで初優勝し、19歳で賞金王に。79年全英オープンを制し、80年にはマスターズで初優勝した。全英3勝、マスターズ2勝を含めて欧州ツアー50勝(歴代1位)、米ツアー9勝はじめ、世界で90勝以上を挙げた。飛距離を生かした攻撃的なゴルフが身上で、トラブルショットもうまく、ギャラリーを魅了した。99年世界ゴルフ殿堂入り。2008年10月にマドリード空港で倒れ、脳腫瘍と診断された。闘病生活を余儀なくされ、2011年5月7日、54歳で没した。早すぎる死だった。
第42回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | Severiano Ballesteros(スペイン) | 284 | = 69 72 72 71 |
2 | 村上 隆(殖産住宅) | 285 | = 72 72 71 70 |
3 | 青木 功(日本電建) | 286 | = 72 76 70 68 |
4 T | 島田 幸作(宝塚) Larry Nelson(USA) |
287 | = 71 71 74 71 = 74 74 69 70 |
6 | 上野 忠美(広島C) | 288 | = 73 77 70 68 |
7 T | 上原 宏一(札幌グリーンヒル) 中村 通(サントリー) 前田 新作(美加ノ原) 陳 健忠(トヨストーブ) 中島 常幸(美津濃) 吉川 一雄(田辺) 新井 規矩雄(パルコ) |
289 | = 73 73 70 73 = 73 72 71 73 = 70 74 72 73 = 74 71 72 72 = 76 70 71 72 = 75 72 72 70 = 71 74 74 70 |
参加者数 121名(アマ23名)