第40回日本オープンゴルフ選手権(1975年)
2023.08.29
週刊アサヒゴルフ1975年10月16日号
村上隆が初優勝、年間日本タイトル4冠に突き進む
この年、プロゴルフの歴史に大きな足跡が刻まれた。村上隆の「年間日本タイトル4冠」だ。1975年の日本タイトルの日程は、5月に新設の日本プロマッチプレー、9月25~28日に日本オープン、10月の日本プロ、11月の日本シリーズとなっている。
当時は日本プロ、日本オープンと関東・関西オープンなど各地区オープン、関東・関西プロが「公式戦」と呼ばれており、「グランドスラム」の対象だった。
村上はこの年新設された日本プロマッチプレーを制して、この大会が2つ目の日本タイトル挑戦となった。
会場は、愛知・春日井CC東コース(6870ヤード、パー72)。賞金総額は5000万円、優勝賞金800万円と、ツアー制度導入もあって、賞金が10年前の同コースでの開催時の10倍になっている。
戦前の注目は、尾崎将司と青木功。尾崎は大会連覇を目指していた。青木はこの大会に勝てばグランドスラマーの仲間入りだった。コースはフェアウエー幅が15~20ヤードに絞られ、深いラフが待ち受けていた。
第1日、AOがコースの罠にかかる。午前スタートの尾崎はラフに悩まされて「パットがしっくりいかない」と1アンダー71で17位スタートになった。青木は1バーディー、2ボギー、1ダブルボギーの75をたたいて70位と出遅れた。
首位に立ったのは3年前にプロ入りした鈴木規夫。5バーディー、1ボギーの4アンダー68で回り、陳健忠(台湾)と首位並走となった。「ダウンブロー気味に打った」(日刊スポーツ紙)というパッティングがよく、3番で5m、7番で10mなど長いパットが決まった。「OBもないし、新しいドライバーで思い切り打てた」と振り返り「夢に見た大会。過去の優勝者を見てもすごい」と、タイトルへの思いを口にしている。
第2日、「イーブンに戻したい」と言っていた青木だったが、インに入って10番で第1打をバンカーに入れてボギー。13番もボギーとしてこの日2オーバー、通算5オーバーで予選落ちした。尾崎は17番で第2打を左のがけ下に落とし、チョロや木に当たるなどで6オン2パットのトリプルボギーで急降下。通算2オーバーの30位に後退した。
首位スタートの鈴木が74、陳が75と崩れる中で、浮上したのが石井弘と金井清一だった。石井は同コースで行われた69年日本プロを制しており「グリーンは傾斜と芝目が反対、狭いフェアウエーを怖がらずに打つだけ」といい、連日の69で通算6アンダーとした。
金井は「フェアウエーをキープすること。頑張ったらミスします」というように、パー4では最長460ヤードで左ドッグレッグの15番では、安全な右を狙い、4番ウッドでグリーン近くまで運んで寄せワンのパーを取るなど「我慢のゴルフに徹します」と話している。
第3日、試合は大混戦になっていく。「10アンダーで優勝」ともくろんでいた首位石井は、インで3ボギーをたたいて通算5アンダーに後退したが、周囲も伸び悩んで首位を守った。金井は75をたたき、1打差2位に後退した。
1打差2位に上がってきたのが、杉原輝雄、島田幸作、そして村上の実力者たち。5バーディー、1ボギーのベストスコア68で回った杉原は「(日本オープンタイトルの)名誉もあるけど、なんたって賞金が大きい。自分がもらうとは限っていないのにシビれる」(日刊スポーツ紙)と笑った。
島田はこのタイトルを取ればグランドスラムを達成する。「ぜひ勝ちたい。ショットが良くないので丁寧にやりたい。勝負どころは前半アウト」(スポーツニッポン紙)と意欲を見せた。
村上は難しいグリーン対策にパター2本を入れて使い分けてのラウンドで69をマークした。「パットにこれだという確信がない。明日は運を天に任せてやる以外ないでしょう」と話している。
その他に1打差2位に川田時志春、再浮上の陳と6人が並んで、勝負の行方は混とんとした。
最終日は村上のショートゲームとパッティングがさえた。10番から4連続バーディーを含め、5番から11ホール連続1パットで収め、7バーディー、1ボギーの66をマーク。通算10アンダーに伸ばし、後半は一人旅になった。3打差2位に金井が入った。
村上は前日までパッティングに悩み、2本のパターを入れてプレーをしていたが、この日は「いっそずっと前に使っていたパターを使ってみよう」と、カマボコ型の古いパターを持ち込んだ。それが当たり「気持ちいいほどラインに乗って行く」(日刊スポーツ紙)という。同組で回った3位杉原が「あれだけパターを入れられたらどうしようもない」と脱帽した。
最終ホールが近づくにつれて膝ががくがくし、腕も重たかったという。「やはりプレッシャーのためだったんでしょう。それだけにこんなうれしい優勝はありません」と話した。
既にこの年のワールドカップ代表に決まっていた。当時は日本オープンに勝つとマスターズの招待状が届く可能性が高かった(76年マスターズ初出場)。そして、この時はまだ「年間日本タイトル4冠」のムードは本人にも周囲にもなかったようだが、この優勝が快挙へ大きく前進させた。そして、この4冠をきっかけに、グランドスラムの考え方も日本タイトルに徐々に変わっていく。
(文責・赤坂厚)
プロフィル
村上隆(むらかみ・たかし)1944(昭和19)年5月25日生まれ、静岡県出身。ゴルフの盛んな川奈で生まれ、11歳からゴルフを始める。伊東南中卒業後、川奈ホテルゴルフ場に入り、キャディーをしながら杉本英世に師事。64年プロ入り。67年グランドモナークで初優勝。75年には日本プロマッチプレー、日本プロ、日本オープン、日本シリーズと1年間で日本タイトル4冠を制覇した。国内通算21勝(ツアー11勝)、海外1勝。2016年日本プロゴルフ殿堂入り。
第40回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 村上 隆(パリス) | 278 | = 74 69 69 66 |
2 | 金井 清一(スリーボンド) | 281 | = 69 69 74 69 |
3 T | 島田 幸作(宝塚) 杉原 輝雄(ファーイースト) 川田 時志春(川越) |
282 | = 69 73 70 70 = 72 72 68 70 = 72 71 69 71 |
6 T | 鈴木 規夫(城島高原) 山本 善隆(城陽) 陳 健忠(トヨストーブ) 石井 弘(日本ライン) |
284 | = 68 74 71 71 = 73 72 69 70 = 68 75 69 72 = 69 69 73 73 |
9 | 宮本 省三(茨木) | 285 | = 70 70 75 70 |
参加者数 149名(アマ32名)