第29回日本オープンゴルフ選手権(1964年)
2023.03.13
優勝カップを前に笑顔の杉本英世(日本プロゴルフ協会30年史より)
大器・杉本英世が待望の初優勝
東京ゴルフ倶楽部で9年ぶり5回目、狭山移転後では2回目の開催となった1964(昭和39)年大会、スポーツ各紙の戦前予想では陳清波、杉原輝雄、石井朝夫、橘田規らが優勝候補に挙げられていた。陳にとって東京GCはホームコースであり、日本オープンは上位の常連。杉原は2年前のチャンピオンで前年も2位に入っている。しかも、2人ともこの年はすでに複数勝利を挙げる充実ぶりだった。石井と橘田はこの年のカナダカップ代表である。
ほかに、若手代表として木本挙国や森泉を挙げるところもあった。しかし、優勝を手にしたのは予想で名前が出てこなかった未完の大器だった。
開幕したのは10月27日、6726ヤードでパー72というセッティングである。
曇から雨にかわり、冷え込んだ初日に首位に立ったのは4アンダー、68で回った松田司郎と柳田勝司。3打差の3位に杉本英世、森岡比佐志、佐藤精一がつけた。
2日目は68で回ったベテラン林由郎が通算4アンダーで首位に出る。1打差2位に柳田、2打差3位に69をマークした優勝候補の陳が浮上してきた。杉原は予選で姿を消している。
36ホールの最終日、3打差4位につけていた杉本が午前の第3ラウンドで69を叩き出し、通算4アンダーの首位に躍り出た。ほかの上位陣は軒並み苦戦し、2位は1アンダーの林と柳田。杉本は後続に3打差をつけていた。
最終ラウンドでも杉本は通算4アンダーで3打差を保って終盤に入ってきた。ビッグタイトル目前。しかし、土壇場で大きな動きがあった。
16番パー4、グリーン右バンカーからの杉本の3打目はグリーンをオーバーしてしまう。4打目を1.5mに寄せるがこれを外してダブルボギーとなった。
そのころ、2位に盛り返していた陳が17番パー3でワンオンしながらまさかの4パットでダブルボギー。通算1オーバーに後退した。
混沌としてきた優勝争いの中、猛追してきたのが木本だ。15、17番バーディーで通算1オーバーの2位に浮上した。18番パー4の第3打アプローチもピンに向かって伸びていく。一瞬沈みかけたかに見えたボールはピンに弾かれてグリーン上で止まった。
杉本は17、18番でもボギーを叩いてスコアを落とす。それでも通算イーブンパーで木本と陳を何とか1打差で抑え、しのぎ切った。
杉本がプロ入りしたのはこの5年前。当初から飛距離が魅力の大型プレーヤーとして期待されていたが、そのパワーが諸刃の剣となって結果が伴わなかった。
転機になったのは前年8月から約半年かけてオーストラリアを転戦したことだった。行動を共にしたオーストラリアのレジェンド、ピーター・トムソンから1打の大切さを学んだ。
「この遠征のおかげですよ。ピーター・トムソンも喜んでくれるでしょう」(日刊スポーツより)。ようやくつかんだ初優勝。ここから未完の大器は「ビッグ・スギ」への道を歩み始めた。
(文責・宮井善一)
プロフィル
杉本英世(すぎもと・ひでよ)1938(昭和13)年2月16日生まれ、静岡県出身。子供のころは様々なスポーツで秀でた成績を残し、野球ではプロから誘われたほどだったが故郷の川奈ホテルGCでプロゴルファーを目指した。1964年の日本オープンを皮切りに多くの大会を制し、68年には日本人で初めて米ツアーのライセンスを取得している。2015年度に日本プロゴルフ殿堂入り。
第29回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 杉本 英世(関東PGA) | 288 | = 71 72 69 76 |
2 T | 陳 清波(東京) 木本 挙国(霞ヶ関) |
289 | = 73 69 74 73 = 74 71 71 73 |
4 T | 佐藤 精一(袖ヶ浦) 小川 貞雄(湯河原) |
290 | = 71 74 74 71 = 74 71 75 70 |
6 T | 山口 征二(霞ヶ関) 謝 永郁(台湾) 石井 朝夫(中山) |
291 | = 74 71 72 74 = 73 75 72 71 = 76 73 73 69 |
9 T | 林 由郎(我孫子) 森岡 比佐志(鳴尾) 勝俣 功(関東PGA) 木本 与(田辺) 河野 高明(芙蓉) |
292 | = 72 68 75 77 = 71 73 75 73 = 73 72 71 76 = 73 73 72 74 = 72 75 70 75 |
参加者数 129名(アマ34名)