第22回日本オープンゴルフ選手権(1957年)
2022.11.18
1957年9月21日付日刊スポーツ
「那須の神様」小針春芳が中村、林らを退けて初優勝
この年10月、カナダ・カップ(現ワールド・カップ)が日本で初めて開催された。埼玉・霞ケ関CCで行われ、中村寅吉、小野光一がチーム優勝、中村は個人も制した。日本に一大ゴルフブームを巻き起こした年になった。その1カ月前、9月17~19日、愛知・愛知CC東山コースで日本オープンが開催された、7055ヤード、パー74の設定、プロ77人、アマ17人(プロ73人、アマ19人の記録もあり)が参加し、もちろん、中村、小野はカナダ・カップの前哨戦と位置づけて出場している。
第1日、午前中に小雨が降り、起伏のあるフェアウエーのくぼみに水がたまるコンディションの中で、首位に立ったのは石井朝夫。6番で1尺(約80センチ)のバーディーをとってから調子を上げ、8,9番で2間(約3.6メートル)のパットを沈めた。10,11番も1尺に寄せて4連続バーディー。5アンダー69のコース記録で飛び出し「特別好調というのではないが、今日はラフに1球も入れなかった」と日刊スポーツ紙にコメントが掲載されている。中村は一時4アンダーとしたが、14、15番の連続ボギーで2打差2位。小野は77をたたいた。
第2日、石井朝が4番で池に入れてから3連続ボギーなどでアウト40をたたき、2位中村も11番で左にOBとするなどイン40で、ともに後退。3位につけていた小針春芳が首位に浮上した。1番でバーディー発進後、手堅くプレーし、後半に入って10、14、16番バーディーで、最終18番では約10メートルのバーディー・パットを沈めるなど71をマークし、通算5アンダーとした。石井朝が2打差2位、3位に林由郎が浮上した。中村は9位、小野は27位で予選を通過した。
最終日、午前のラウンドで小針は速攻を仕掛けた。1番から3連続バーディーで、追う石井朝、林を突き放した。午前を終えて石井朝に6打差、林に8打差をつけて逃げ切り態勢に。後半はパープレーにまとめて、通算8アンダーで初優勝を果たした。
日刊スポーツ紙には「小針は一見グラグラしているグリップだが、上半身を動かさずに打ち込むアプローチのパンチがよく生かされ、軽いパターでよく走るグリーンに対したのが成功の要因だった」としている。
スポーツニッポン紙は「3年以内にタイトルを取ろうと、今年の春、願を立てて努力したが、こんなに早く転がり込んだ」と喜びを伝える。日刊スポーツ紙には「5度目の出場だが、寅さんに勝ってみたいというのが念願だった。3日間ショットのコントロールだけ考えてプレーした。ツイていたこともあって自分としては予想以上のスコアをだせた」と話している。
カナダ・カップ代表の2人、中村は4位、追い上げた小野は8位だった。日刊スポーツ紙は「期待を裏切ったが先の見通しは明るい。スニード(米国)やトムソン(オーストラリア)が名選手でも、高麗芝を10日間ではマスターできないだろう。きっとよい成績を残すだろう」という、大会に参加した外国選手の感想を伝えている。
プロフィル
小針春芳(こばり・はるよし)1921(大正10)年4月24日~2019(平成31)年4月19日。現在の栃木県那須塩原市の農家に生まれ、高等小学校卒業後に那須GCに就職した。キャディーをしながらゴルフの腕を磨き、1940年に那須GCで開催された関東プロ招待競技で研修生ながら浅見緑蔵とのプレーオフへ。敗れはしたがプロに認定された。戦争中は外地へ出征。ニューギニアで何度も死線をさまよった。長くゴルフから遠ざかっていたが、復帰して55年の関東プロ決勝で中村寅吉を破って初優勝。色弱のハンディを乗り越えて、実力を開花させた。5番ウッドの名手として名をはせ、拠点は故郷の那須一筋だった。「那須の小天狗」「那須の神様」という異名を持つ。日本オープン、関東プロ、関東オープン各2勝。
第22回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 小針 春芳(那須) | 288 | = 72 71 71 74 |
2 | 石井 朝夫(関東PGA) | 294 | = 69 76 75 74 |
3 | 島村 祐正(古賀) | 298 | = 78 75 75 70 |
4 | 中村 寅吉(関東PGA) | 299 | = 71 79 74 75 |
5 | 栗原 甲子男(小金井) | 300 | = 75 77 75 73 |
6 T | 新井 進(神戸) 林 由郎(関東PGA) |
301 | = 75 76 78 72 = 74 73 75 79 |
8 T | 石井 一夫(名古屋) 藤井 武人(福岡) 小野 光一(程ヶ谷) |
302 | = 78 76 72 76 = 75 73 74 80 = 77 78 74 73 |
参加者数 87名(アマ18名)