日本プロゴルフ殿堂

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陳 清波 お別れの会

 2025年1月14日に逝去したプロゴルファー陳清波(ちん・せいは)さんの「お別れの会」が3月17日、都内で行われた。
 1954年に台湾から来日して川奈ホテルGCに入り、いったん帰国後、59年から東京GCに所属して日本を主戦場とした。以来、日本オープン優勝はじめ日本や海外のトーナメントで活躍する一方で、レッスン書「近代ゴルフ」を著して、スクエアグリップやダウンブローなど今も使われている言葉を世に出し、一般ゴルファーのバイブルとなるなど、ゴルフ界に貢献。日本と台湾との交流の懸け橋として大きな役割を果たしてきた。
 この日の会は日本プロゴルフ殿堂の松井功理事長が実行委員長を務め、第1部で関係者が故人をしのぶ会、第2部で一般の方の献花を受ける形で行われた。1977年以降長らく所属した河口湖CCのイメージで作られた祭壇には、トレードマークのハンチング帽姿に、やさしい笑みを浮かべた陳さんの写真と、日本シリーズや3連覇したチャンピオンズトーナメントの優勝トロフィーが飾られた。
陳清波お別れ会  第1部では、陳さんにゆかりのある方が弔辞を述べた。その中で、プロ野球福岡ソフトバンクの王貞治会長は「陳さんは常に優しく接してくれました。(来日当時は)今と違って難しい時代だったと思います。苦労しながら頑張って日本オープンや多くのトーナメントに勝ち、その名を高めてきました。野球とゴルフでしたが、競争しながらお互いのレベルを上げてきました。お礼の言葉しかありません」と話した。10年ほど前には一緒にゴルフをしたこともあったという。
 日本女子プロゴルフ協会の小林浩美会長(日本プロゴルフ殿堂副理事長)は、米女子ツアーで戦っていたころに、陳さんの教えを乞うため門をたたいたことを明かした。「1990年に米女子ツアーに行って2勝した後、あと一歩のところで勝てなくなった。陳先生のようなダウンブローを打てたらと思い、つてを頼って門をたたきました。膝の使い方を徹底的に指導されました。その後1998年のジャパンクラシックで優勝したときは、会場で見守っていただきました。訃報に接したときは言葉が出ませんでした」と、個人的な絆を話した。
 台湾プロゴルフ界の盟友、謝永郁は何度も台湾代表としてカナダカップを共に戦い、マスターズに挑戦してきた。日本語で「台湾の英雄であり、大きな星です。こどもの時から淡水でともに育ち、ゴルフを始めるようになりました。優勝することができ、日本で幸せな家族を持つことができたのも陳さんのおかげです」と、語りかけた。
陳清波お別れ会  会には陳さんと同時代に戦った日本選手や、日本女子ツアーで活躍した涂阿玉ら後輩の台湾選手らも多数出席した。日本プロゴルフ殿堂理事の樋口久子日本女子プロゴルフ協会顧問は「私がプロになる前から、スクエアグリップやダウンブローという言葉が入ってきていました。人間的にも素晴らしい方で、だれにでも公平に接してくださり、台湾と日本の懸け橋になって、陳さんがいらしたから多くの台湾のプレーヤーが日本に来るようになりましたし、すごい方だと思いました」と話した。
 第1部の最後に、松井実行委員長から全員が祭壇へ献花をして、陳さんに別れを告げた。その後、別室に移り、陳さんの写真や著作などが展示され、ニクラウスとのテレビマッチの映像などが流れる中で、故人をしのんで昔話の輪ができていた。
 第2部では開始予定時刻前から陳さんをしのぶ一般の方々が集まり、定刻となってからは献花の列ができていた。
(文責・赤坂厚)