涂 阿玉
1954(昭和29)年9月29日生まれ
- 69勝を挙げた台湾の至宝
台湾出身。中学卒業後に台中の豊原CCにキャディーとして就職。17歳で淡水GCに移り、陳金獅プロのもとでゴルファーとしての修業を積んだ。アマチュア時代から日本女子ツアーに出場しており、清元登子がアマチュア優勝を果たした1973(昭和48)年トヨトミレディスでは2位に入っている。
1974年にプロとなり、日本女子ツアーに参戦。同年の東海クラシックで初優勝を飾った。1981年に準会員として日本女子プロゴルフ協会入会。歴代2位となる計7回の賞金女王に輝いた。中でも1982年から86年は5年連続で賞金女王に輝き、この間の年間優勝数は、9、9、7、7、9と無類の強さを発揮。最終日は上下ピンクのウエアを好み、「ピンクパンサー」のニックネームでも知られた。
1990年代前半に右大腿部つけ根を痛めるなどして低迷したが、2002年の再春館レディースで9年ぶりの復活優勝。日本国内の勝利数が入会前を含めて「69」となり、樋口久子の最多記録に並んだ。
現在、男女を通じて外国人選手唯一の永久シード保持者である。
主な戦績
国内69勝
- 日本女子プロ1勝
- 1985年
- 日本女子オープン3勝
- 1983、86、91年
- LPGAレディーボーデンカップ3勝
- 1979、82、83年
- 賞金女王7回
- 1982~86、89、91年
- 他
第1回- 初めてクラブを振ったのは14歳
第2回- 陳金師先生の教え
第3回- 最初はホームシックの辛い日々
第4回- 憧れは樋口久子
第5回- パンチショットの涂阿玉誕生
第6回- 賞金女王5年連続でも不安
第7回- 今は恩返しの気持ちで一杯
第8回- これから