島田 幸作
1944(昭和19)年5月7日~
2008(平成20)年11月3日
- 激動の時代に舵を取ったJGTO初代会長
兵庫県出身。尼崎工業高校卒業後、一度は就職したが、母親が働いていた縁で宝塚GCに入りプロを目指す。2年後の1964(昭和39)年にプロテスト合格。1968年の日本プロでプロ入り同期である青木功らとの優勝争いを制して24歳で初優勝を飾った。その後、関西オープン、関西プロと公式戦タイトルを次々に手にし、1976年には日本オープンを制して当時のグランドスラムを達成した。
1989年、日本プロゴルフ協会理事に選ばれ、1997年には同協会内に設置されたレギュラーツアーを管轄するPGAツアー・オブ・ジャパンのエグゼクティブディレクターに就任。1999年に日本ゴルフツアー機構が設立された際には初代会長(当時の名称はチェアマン)となった。
ツアーの混迷期をトップとして引っ張り続けた功績は大きい。2008年3月、会長を退き、名誉会長に。その8カ月後、新時代の象徴といえる石川遼がプロ初勝利を飾った翌日にがんのため死去した。64歳だった。
主な戦績
国内12勝
※1973年以降は賞金ランキング加算競技が対象
- 日本プロ1勝
- 1968年
- 日本オープン1勝
- 1976年
- 関西プロ3勝
- 1973、74、77年
- 関西オープン1勝
- 1970年
- 他
代表歴
- ワールドカップ
- 1975、77年