山本 増二郎
1911(明治44)年12月25日~
2000(平成12)年10月2日
- 戦後プロゴルフ界復興の立役者
静岡県出身。15歳のころ、地元の川奈ホテル建設事務所に就職。やがてゴルフをするようになり、当時、東京の駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部でプロを目指して修業した。川奈でプロとしてのスタートを切り、東京ゴルフ倶楽部(朝霞=埼玉県)を経て我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県)の専属となる。ここでは林由郎ら後輩を育て、後の佐藤精一や青木功、海老原清治らにつながる我孫子一門の礎を築いた。戦後、復員すると解散していた関東プロゴルフ協会の復活に向けて奔走。終戦翌年の1946年10月、散り散りになっていたプロを我孫子ゴルフ倶楽部に集めて再結成を決議。会長に就いた。2年後の1948年には他のトーナメントに先駆けて関東プロを復活させるなど、戦後のプロゴルフ界復興に大いに尽力した。
- 主な経歴
- 関東プロゴルフ協会会長(1946~52年)
- 日本プロゴルフ協会理事長(1969~74年)
- プロスポーツ功労者(1993年)