中村 兼吉
1911(明治44)年6月20日~
1974(昭和49)年2月28日
- 日本人初の海外メジャー予選通過を記録
東京都出身。生家近くの東京ゴルフ倶楽部駒沢コースで子供のころからキャディーをしていた。中学卒業後もキャディーを続け、17歳の時に安田幸吉の助手となってプロへの道を歩み始めた。 その後、新設の藤沢カントリー倶楽部(神奈川県)に移籍。 1932年に所属コースで開催された関東プロで決勝に進出し、陳清水を2アンド1で破って初優勝を飾った。 関東プロは翌1933年も優勝。さらに、日本オープンでは2位のラリー・モンテス、陳清水に9打差をつける圧勝で存在感を示した。 1935年には宮本留吉、浅見緑蔵らと米国遠征を敢行。渡米前に宮本、浅見とともにマスターズから日本人選手として初めて招待を受けていたが日程的な問題で出場できなかったというエピソードもある。 それでも6月には全米オープンに出場。 日本から参戦した6人中、中村のみが決勝ラウンドに進出して58位という成績を残した。 これが海外メジャーにおける日本人選手初の予選通過だった。 戦後はクラブづくりにも力を注ぐ。また、1957年に創設された日本プロゴルフ協会では副理事長として安田幸吉初代理事長をサポート。協会の発展に寄与した。
主な戦績
- 日本オープン1勝
- 1933年
- 関東プロ2勝
- 1932、33年