古賀 春之輔
1913(大正2)年3月9日~
1988(昭和63)年1月12日
- 関西プロゴルフ界の屋台骨を支えた重鎮
東京都出身。慶応義塾普通部から慶応大学に進むが中退。父親が居を移していた兵庫県の甲南ゴルフ倶楽部でゴルフを学んだ。プロになった年ははっきりしていないが、19歳になった1932年、日本プロなどに出場した記録が残っている。トーナメントの優勝 歴はなく、関西オープン2位(1950年)が最高成績だった。太平洋戦争中は徴兵で戦地へ。戦後は宝塚ゴルフ倶楽部(兵庫県)所属となる。関西ゴルフ界の発展に努め、関東と関西に分かれていたプロゴルフ協会の統一にも尽力。1957年の日本プロゴルフ協会設立にひと役買った。1963年、浅見緑蔵が日本プロゴルフ協会第2代理事長(現会長職)に就任した時に副理事長となり、以降、第3代山本増二郎、第4代鈴木源次郎と3代に渡って副理事長として理事長を支え続けた。英語が堪能で国際交流でも存在感を発揮していたという。宝塚ゴルフ倶楽部では後進の育成に力を注ぎ、島田幸作、大迫たつ子と2人の日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者を育てている。
- 主な経歴
- 日本プロゴルフ協会副理事長(1963~1983年)
- 関西プロゴルフ協会会長(1965~1982年)
- JGTOゴルフトーナメント功労賞(2008年)